今回は鶴見済さんの単行本『0円で生きる: 小さくても豊かな経済の作り方』の紹介です。
本書は前作から5年の時を経て上梓されており、いま流行りのミニマリズムとも親和性があります。
本書の姿勢
冒頭のほうで、米国の若者層や日本人が物の消費に興味を示さなくなり、スマホのアプリなどで物をシェアすることが好むようになったことが紹介されています。
しかし、こうしたシェアリング・エコノミーの流れは必ずしも金銭とは無縁ではなく、部屋を又貸しするために用意したり、タクシー業者として活動することで利益を得ようとしたりすることが、新しい金儲けの手段になっていることも指摘されています。
すなわち、これは近年のシェアリング・エコノミーは、必ずしも相互扶助の精神によって成立しているわけではないことを意味します。
ならば、小さくても豊かな経済を作るためにはどうすればいいでしょうか?
こうした問いについては、貨幣というフィクションが登場する前に行われていた物々交換のようなやり取りも有効で、不用品放出サイトや不用品放出市場や不用品を回すお店を利用することなどが紹介されています。
パラフレーズするとこれはパイの奪い合いではなく、他の人と共通の目的を見つけることでパイのサイズを増やすことが大切だということにもなるのではないでしょうか。
フィクションとユーフォリア
ところで、アダム・スミスは経済発展には個々の利己心が必要で、これが市場の自由競争を推進することにもなると主張しています。
けれども、経済の成長が頭打ちになったり、変化の激しくなったりしている現代の場合、競争の激しい分野で切磋琢磨することは必ずしも自己実現にはならないという意見が増えました。
そもそも、前述した分野で鶏口(トップ)を目指そうとしても、すこし考えればゲームのルールが良くないことは明白で、レッドオーシャンになっていることは容易に分ります。
以上のことから、多くの人にとってユーフォリアを感じる対象は、誰かの基準よりも自分の基準によって選択(もちろん常識の範囲で)したほうが合理的だという結論が導出されます。
それから、明確な目的をもたず、特定の分野で努力しようとするよりも、本書でも示されているようにとくに人生の目的のない人も気軽に参加できる場所に行き、緩やかにつながれる関係があるほうが幸福度の高い生き方や自己実現につながります。
こういうことをいうと、『そんなのは本当の幸福や自己実現ではない』という意見もすこしはあるでしょう。
なるほど。
では本当の幸福や自己実現とは何でしょうか?
たしかに、日本では自由や自己実現については学校で教わることはすくないですけど、風通しの良いコミュニティに参加し、やすらぎを感じられたり、知的に刺激されたりする状態になることは、総じて幸福や自己実現と形容してもいいと僕は思います。
あと、誰かから押しつけられたわけでもないのにフロー状態になれる場合もそうです。
サブカル系出版業界の話
もともと、鶴見済さんはサブカル系の書籍や雑誌で執筆活動をされていました。
とはいえ、そうした本や雑誌で活動されていたライターや作家のほとんどはいま活動していません。
かなり前のことですが、たとえば東京公司の主筆は亡くなられましたし、村崎百郎さんは異常者に殺害されましたし。
そもそも、日本では出版社の自主規制が進んだことなども関係し、サブカル系の出版業界は縮小していきました。
ちなみに、サブカル本や雑誌の読者層というとオタクやギークなどのマニアックなイメージがあるかもしれませんが、一般人もけっこう読んでいました。
事実、サブカル雑誌の投書者の職業には学生や公務員も多かったからです。
アンダーグラウンドの話題を扱っているような場合も、当時は大手の書店やコンビニの目立つところに陳列されていて発行部数が数万部というのもザラでしたし。
それから、サブカル雑誌は昔のネット社会とも、雰囲気が重なっていることもありました。たとえば『GON!』とかですね。
そうした事情は、読者だった人ならよく分ると思います。
表現の自由
前述したように、いまでこそ自主規制の流れもありますが、サブカル本や雑誌が売れていたことにはネットが一般的ではなかったことに加え、言論の自由や表現の自由も関係しているのでしょう。
いまや、プライバシーの権利などを包摂する、日本国憲法第13条の幸福追求権と同程度にしか知られていないかもしれませんが、言論の自由や表現の自由は各国でも保障されています。
歴史を繙けば、時は1644年。
こうした権利の主張は、ジョン・ミルトンの言論と出版の自由を主張した古典『アレオパジティカ』が最初とされていますが、日本国憲法第21条では言論や出版以外のあらゆる表現の自由を基本的人権として保障しています。
サブカルライター
さて、前述したサブカル系のメディアの流れで活躍されている人たちについて話を戻すと、鶴見さん以外では町山智浩さんがいます。
この人は映画評論家としてコンスタントに単行本を出していて、文春で『言霊USA』というコラムを連載されています。
他には、90年代からサブカル系の本や雑誌で活躍されていた写真家の釣崎清隆さんが、すこし前に福島原発で作業員として労働したことや死体の写真集を出したくらいじゃないでしょうか?
こうした状況の中、いまも鶴見済さんが文筆家として活躍され、多くのシンパを獲得しているのは旧帝大で高等教育を受けていること、さまざまな人を見てきたという経験も関係しているのではないでしょうか。
不適応者の居場所
ところで、『自殺のマニュアル本を書いた著者の本を紹介するなんてけしからん!』という意見もあるかもしれません。
鶴見済さんというと、やっぱり『完全自殺マニュアル』の著者として各方面に知られていますからね。
しかし、その一方でいつしか日本のミニマリストカルチャーのアイコンのようにもなり、最近主催されている相互扶助や意見交換などを目的とした不適応者の居場所は社会貢献にもなっています。
なぜならば、生きにくさを抱えた人も緩やかにつながれることによって生きやすくなるからです。
こうしたコミュニティは、とくに文化拘束性の低い都市部では時代の流れに合致した中間共同体として機能しやすくなります。
さらにいえば、つながりが緩いということは、自殺願望者や個人主義者や身寄りのすくない人や病人も気軽に参加できるでしょう。
ちなみに近代産業社会になってから、文化的な同質性が高くなりすぎましたが、風通しの良いコミュニティにさまざまな境遇の人が集まり、純粋に懇談したり自分の可能性を追求したりするということ。
これは幸福や自己実現といっても過言ではありません。
近年の鶴見済さん
近年も、鶴見済さんは日本社会が同質性の高い社会であり、そうしたことは生きにくさにつながるといったことを説明されていますが、その通りだと思います。
著者の人間関係についての考え方が僕は好きです。
なお、この考えは本書の一貫した姿勢にもなっています。
“よく「つながりのない社会」などと言われているが、この日本では学校や職場のように、むしろ人間関係が過密すぎてきついことのほうが問題だろう。
<中略>
ここに書いたような無料の生活をしているうちにできてくるのは、決して押しつけられたタイトな関係ではない。付き合いの頻度や距離まで自分で決められる緩い関係だ。決まった場所があってもなくても、それはある種の居場所とも言える。”
(鶴見済 『0円で生きる』 219p)
それから、こちらに鶴見済さんのブログ『鶴見済のブログ』もリンクしておきます。
そのブログには、前述した著者の主催されている不適応者の居場所の詳細も載っています。
実社会に居場所がなかったり、生きにくさを抱えていたりする人は参考にしてください。
なお、鶴見済さんは総合知が身についたインテレクチュアルです。
だから、ミステリアスな人や最近跋扈していると噂のあるジハード戦士(最近各所に出没しているという噂もありますが、もしサブカル関係のコミュでも自殺系サイトでも『聖戦に参加しないか?』などと呼びかけてくる者がいてもまともに対応してはいけません)などに食い物にされるリスクの高いコミュニティとは違い、気軽に参加できるでしょう。
また、不適応者の居場所では、鶴見済さんのファンサイト『Wataru Tsurumi in Movement(元ワタル・ムーヴメント完全解説)』を長年運営されているはぐれ猫さんにもお会いできるようです。
さて、『0円で生きる』は生きにくさを感じていたり、視野を広めたりしたいと考えている人にもおすすめです。
興味のある人はぜひ購入してください。
※鶴見済さんのブログ『tsurumi's text』は『鶴見済のブログ』に名称が変更されましたので表記を修正いたしました。
参考書籍
参考サイト
鶴見済のブログ&Wataru Tsurumi in Movement
参考記事