たまごんのブログ

精神的に遊牧民化している人間のブログ.

本能と理性

今回は被差別民に関する話です。


人間の美質

近年は、紀伊国屋書店にさえ外国人への排外感情を煽る本が陳列され、出版不況にもかかわらず飛ぶように売れているというのが実情です。

かくいう僕も、大学生のときに半年ほど書店員をやっていた経験があります。
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そのため、一般層よりは本の売れ行きには敏感なほうですが、近年外国人への排外感情を煽る本が書店の売り上げランキングの上位になることがあることを懸念しています。

というのも、読書家や知識人が排外主義に陥って思考停止してしまうと、総じてその流れは民衆の民度にも反映されてくるからです。

ちなみに、日常的に読書をする習慣のある読書家のように、理性的で思慮深い人間の美質は他の人の立場や問題を自分のことのように考えられる共感力と感受性にあるというのが、僕の理解です。

そういえば、過去にトラブルになった人にはすこしマイノリティの人もいたように思いますが、冷静に考えれば少々価値観の相違があったにすぎず、だからといって『マイノリティだから』といったレッテル貼りや差別はやめたいですよね。

諸外国での差別問題

諸外国のことに話を移せば、諸外国にも差別によって生きにくさを抱えている被差別民がいました。

具体的には、欧州に多かったと言われています。欧州にもジプシーやロマと呼ばれる被差別民が多数存在し、きちんとした教育が受け難かったことで識字率が低く、芸能者や家畜商や鍛冶工や占い師などをしていたことが多かったと言われています。

しかしながら、欧州におけるジプシーやロマに対する迫害は凄まじく、1933年にはナチスが絶滅政策を実施し、50万人近くが虐殺されたと言われています。

皆さんの中にも、書籍や西洋の映画などを通し、こうした情報を見聞きされた人は多いのではないでしょうか。

とはいえ、こちらでは被差別民が賤視されることに従事していたということではなく、そのくらいのことをしなければ生きにくいほど、当事者への差別意識は強烈なものであったということを伝えたいのです。


被差別民と芸能

近代も、洋の東西を問わず被差別民への差別意識が強いところでは、先述したように当事者が特定の職業や立場以外では活躍しにくくなっていたことが推測できます。

被差別民には、芸能者となる人が多かったことから、歌や踊りといったパフォーマンスを披露する大規模な劇団などの集団を持つことも多かったのではないでしょうか。

そうしたところでは、荒くれ者や移民や高齢者や障がい者や旅芸人やひきこもりといった社会に適応しにくい人たちの受け皿にもなり、多様なカウンセリングや互助交流が行われやすく、社会の秩序を維持する役割を果たしていたと考えられます。

たとえば、さまざまな人や情報が集まる場合、マイノリティのディアスポラなコミュニティとしても機能しやすくなるからです。おそらくサーカスはこの流れを汲んでいるのではないでしょうか。

ちなみに、芸能活動が自分と外の世界との間に横たわる溝を埋めることにつながっている場合、それは自己実現を目的とした正真正銘の芸術に昇華されている、といっても過言ではありません。


国家の思惑

話はすこし変わりますが、人間には他者を貶めて優越感を感じたいという暗い本能があります。

実際、古代の日本では、中国の身分制度を基礎にした律令制で、民衆が平民と賤民に分けられていましたが、律令国家の終焉にともない賤民は平民籍に編入したという複雑な事情があります。

ちなみに、士農工商の四民の次位には最下層の身分が固定され、その人たちの場合は皮革職人、香具師霊媒師、紙芝居屋や葬儀屋、芸能者や歌舞伎者や刑屍の埋葬者や罪人などの監視と検挙者(十手持ちなど)、牢番や墓守や力士や家畜商や啖呵売などに従事していた傾向があり、職業や住まいに制限が生じることもあったとされています。

また、十手持ちなどの場合、その活動の対象には精神障がい者や協調性の乏しい人や外国人や宗教家といった、個性的ですこし変わっている人から他の被差別民も含まれていたという説があります。

つまり、一部の被差別民にこうした公的な役職が与えられる場合、活動の対象者というよりも、実際にはその人やその人と交流のあった周辺の人たちの実態を記録するためだったという説です。

ちなみに、こうした言説の基軸には定期的に本来の活動とは無関係の私的な個人情報をお上に報告しなければならなかったことなどがあるそうですが、こうしたことには実態の分りにくいマイノリティの人々の動向を合理的に把握したい、という国家の思惑が関係していたのではないでしょうか。

なお、1871年8月の賤称廃止令によって賤民は平民籍に編入しましたが、元賤民たちは新平民という差別的呼称で呼ばれることがありました。

しかしながら、現代もこうした差別意識は根絶されておらず、部落差別などのかたちで当事者の就職や結婚時の障害になっている、という意見もあります。


律令制の問題点

士農工商の四民の中で、武士の次が農民になっていたことには、日本人は近代まで農業に就いている人間が多かったことから、多数派であった農民たちに甘やかな優越感にもとづいた同質性を抱かせる意図があったと推測できませんか。

こうした民衆の同質性を高める手法は、百姓一揆を抑制するためにも機能していたのではないでしょうか。士農工商の四民が設けられた江戸時代の日本人は、その8割が農民であったとされています。

ちなみに、士農工商の四民の武士以外の立場は、ほぼ同等だったという説もあります。たしかに農業よりも、商人や職人のほうが業務内容が複雑で高収入の場合が多かったということは容易に推測できます。

また、当時の農業は肥料や農具や水道が発達していなかったことで、日照りが続くと農民にとって致命的でした。

そこで、こうした事情により農民が作業をボイコットすることを危惧し、生産性を維持するために作られた政策が士農工商だったとも考えることはできませんか。

ましてや当時は、米俵を年貢として領主や大名に収める習慣があり、米は貨幣として機能することもありました。

付記すると、人類は貨幣や資本主義という共通のフィクションを信仰することによって、社会のシステムを発展させ物質的に豊かになったといったことが、世界的ベストセラーになった『サピエンス全史』でも説明されていました。

ところが、社会のシステムを発展させ物質的な豊かさを招くことのある、その共通のフィクションという概念は、社会の底流に存在していた差別意識にも該当していた可能性がありませんか。

だとすれば、律令制によって国民に優劣を付加させ、一部の人を虐げることで国家はメリットを得ていた可能性があります。

このように、人間の精神の深部に横たわるユーフォリアに着目する機会があったのは、今回の文章の原文を主に夜間に書いていたことが関係しているのかもしれません。


理性の必要

ネット上で匿名で運営されているヘイトサイトに代表されるように、特定の素性や立場への一方的な怨嗟や差別意識がある場合、明らかに問題のあることも見受けられます。

しかしながら、率直に言っても自分の正体を伏せて、一方的に他の人の個人情報や事実ではないことを大声で言いふらすというのは、常軌を逸しています。

そもそも、一方的に自分の価値観を押しつけなければ気が済まなかったり、他人の個人としての尊い権利を侵害したりするというのは、明らかに一線を越えていて賢明な判断とはいえません。

なお、本記事には部分的に差別的な呼称や表現が用いられていますが、差別の温存や助長を意図しているわけではありません。

事実や史実をもとに、差別問題と人間の心の仕組みを解き明かしていくことに重きを置いております。

差別問題に通暁している専門家からすれば、拙いと感じられるところもあるかもしれませんが、趣旨をご理解いただき寛容な態度でお読みくだされば幸甚です。

理性があなたとともにありますように。
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参考書籍

破戒

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破戒 (まんがで読破)

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参考サイト:同和地区のど真ん中で8年暮らす僕が、部落地区の現実を伝えたい