こちらではおもに自殺系サイトの利用歴や運営歴の話をします。
Club Sui-Cide
まず、Club Sui-Cideと自殺系サイトの説明をします。
Club Sui-Cideとは、チャタートンさんが運営されていた自殺系サイトのリンク集サイトで、とても使いやすいところでした。
なお、登録されていたサイトはユーザーの多いサイトから放置プレイ状態のところまであって玉石混淆でした。
Club Sui-Cideには、有名なところからできたばかりのマイナーなところも登録されていましたので、日本中の熱心な自殺願望者たちがこぞって足繁く通っていました。
Club Sui-Cideから筆者がよくウォッチしていた自殺系サイトは、DeadLine、Current(元自殺志願者メル友募集掲示板)、自殺志願者の憩いの場、自殺志願者交流会館、彷徨、病んだ魂、冬が来るまでに死ぬつもり、生死の狭間、若者の自殺掲示板、自殺掲示板(同名サイトは複数あったがモッツアレラさんが主催していたところ)などです。
Club Sui-Cideは、2000年代の自殺系サイトを語る上では欠かせないところで、自殺系サイトの総本山と化していたと言っても過言ではありません。
自殺系サイトの管理人
Club Sui-Cideに登録されていた一部のサイトには、神懸りで作ったとしか考えられないところもありました。
信じられないほど、プログラムやデザインやテキストの技術が凄まじく、界隈の住民の心に碇を下ろしたところもあったはずです。
たとえば、前述したDeadLineのトップページや水鏡の楼のポエムページなどがそうではないでしょうか。そうしたところになると匠の技術によって作られたと言っても過言ではありません。
そういえば、精神系色の濃いところを含めると女性もけっこういました。
たとえば、日本で始めて注目された自殺系サイトである安楽死狂会の管理人さんや生死の狭間の管理人のアガガさんも女性でしたし。
いまは各サイトに掲載してあるテキストを読むと、男性の割合が高いと考えられます。
諸行無常
いまや、筆者はこの界隈の長老の一人になりましたが、駆け出しの頃は黎明期から発展期に移りはじめたような時代で、まだ時間的連続性を経ていませんでした。
自分の場合、先人たちのやっていることを見様見真似でアレンジしながら脱構築し、自分の型を作っていきました。
振り返ってみると、ときどき暗闇に覆われた果てしないトンネルや洞窟のなかを、光を求めながら手探りで歩いているような、不思議な気分になることもありました。
そして、人の命が失われたり、救済されたりしていくのを眺めているうちに、諸行無常を意識することもありました。
ストーリーテラー
なぜ、凡庸な技能と才能の持ち主に過ぎなかった自分が最後まで生き残ったのかというと、環境の変化にやや敏感なことや運の要素が関係しているのでしょう。
他にも、理由はいくつかあります。
我田引水になりますが、グリットは高いほうです。
自分は関心のある分野はかぎられていますが、没頭するタイプです。ちなみにそうしたことへのトライ&エラーは、気が遠くなるほど繰り返してもあまり苦になりません。
だからこそ、サイトの更新も納得がいくまでトコトン繰り返していました。
あと、時が流れてから過去を追憶し、読み手に物語を追体験させるストーリーテラーの能力は当初からありました。
光明
さて、すこし話を戻します。
最初に説明した、Club Sui-Cideの話をします。
Club Sui-Cideは、自殺系サイトという薄暗いフィールドにありましたが、ときどき光明が射し込むような穏やかなところで多くのユーザーの灌漑になりました。
自分のネット上の青春時代を語る上でも欠かせないところです。
なお、Club Sui-Cideはかなり前に閉鎖しましたが、管理人のチャタートンさんはいまはブログを運営されています。
そのため、そちらをリンクしておきます。
参考ブログ:web-g.org
そちらはいのちの通り道からもリンクしています。
これはけっこう前に、ご本人からリクエストと考えられる連絡があったためです。詳細は割愛しますが、そちらを確認したのは送られてから約半年後のことでした。
実際、なぜか着信に気づかなくて、しばらく後に何気なく過去に送られた内容を見ていたときに気づきました。
そのため、細部まで確認せず慌てて対応させていただいたという事情があります。
なお、リンクの説明文は細部を確認後、一部修正させていただきましたが、ご意向を損なっていなければいいのですが...。
結局のところ、多方面に波風が立たないよう配慮させていただくことになりました。
もし、ご意向にそぐわないところがあったとしても、細部に限定されている場合はご放念いただければ幸甚です。
参考記事 ydet.hatenablog.com