精神的遊牧民

精神的に遊牧民化しているミニマリストのブログ.

不思議な話

今回は、近況を中心に綴っています。

気が向いた方は、参考にしてください。

長文ですが、テキストの転載やリンクにはパラフレーズ(敷衍)の原理を応用し、画像が複数あるのでパラグラフのバランスに気を配りながら構成しています。

 

近況

今年は、すこし年上の知人が死んだり、昔のことを思い出したりして、人生とは一度しかない自分自身のかけがえのないものだと再認識させられました。

とくに、最近はふとした拍子に、昔のことを鮮明に思い出すことが多いのだけれど、まるで心の中にあるノートのページが風に吹かれているかのように感じることがあります。

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ちなみに、充実した人生を過ごすには、日ごろから適度に情報のシャッフルと取捨選択をしておくことが必要です。

というのも、そうすることで風通しが良くなり、豊かでイカした人生を歩みやすくなるからです。

 

奇妙な人間

ところで、冒頭で紹介した亡くなった知人とは、しばらく音信不通になっていました。

ちなみに、彼の場合、穏やかとは言えない生き方をしていて、論理や理屈が通じ難く、他人に自分の価値観を押しつけようとしなければ気が済まないところがありました。

とはいえ、僕にはけっこう優しくてたくさんのことを勉強させていただきましたが、しばらく音信不通になっていたので共通の知人たちから訃報があったのも、亡くなってすこし経ってからでした。

また、彼の場合、晩年は複数の病気を抱え無職で、亡くなる数ヶ月前から周囲との交流をほとんど絶っていましたが、こうしたことは、本人が決めることなので非難つもりはありません。

ちなみに、僕はこの人にせがまれて自宅まで食べ物を運ぶことがありました。といっても、スーパーの惣菜や健康食品などを買い与えていた程度でしたが。

僕が、ときどき援助の手を差し伸べて飲み食いさせていたことには、彼には周囲の磁場を変化させ、通常なら不可能な要求を通すという不思議な能力があったことが関係しています。

そもそも、この人と知り合ったときも、あるところで知人の女の子と話をしている最中、唐突に割り込んできたことがきっかけでした。

もともと、こちらから近づいたのではなく、不意に向こうから寄ってきたわけです。もちろん呼び寄せるようなこともしていませんでしたが、その割になぜか込み入った話ができたことが印象に残っています。

こういうことには、本人の性格ががさつな半面、洞察力や直観が鋭く、このように相反する気質が混在していることで、話しをしていると変な気分になったことも関係していたと思います。あと彼の周りでは、ときどき変な事件が起きていました。

世の中には少数ですけど、こういう人がいますよね。

 

マイノリティの権利

あと、この人の場合、アーティストを自称していて外国のサブカルチャーに詳しく、自宅で外国映画の上映会を開いていましたが、僕もたまに参加していて、エンジョイさせていただきました。

とはいえ、彼の他の人に自分の価値観を押しつけようとしなければ気が済まない気質には、オーバーだと思わされることもありました。また彼は仲間の前で、マイノリティ(とくに不法移民)の市民権を非難するときにこうした態度を取っていました。

しかし、その多くは勝手な推測や表面的な一部の情報に立脚していました。保守の思想を否定する気はありませんが、先述したことにはネット右翼陰謀論者の傾向があったことが関係していたと思います。

ところで、僕は他国に定住している移民の場合、先住民の個人としての尊い権利をおびやかさない限り、市民権や定住、社会参加を認めたほうが良いと考えています。

ただし、これから日本が新興国に技術を提供したり、積極的に移民や外国人労働者を受け入れたりすることには反対です。

なぜかというと、経済学の基本を理解している方なら分ると思いますけど、たとえば中国の農村部に住んでいる人たちが日本人と同水準の生活をするようになったら、世界経済のバランスや秩序が損なわれてしまうからです。

 

芸術の精神

さて、話を戻します。

この人の場合、その時々の実感で生きていて、論拠が乏しいのに他の人を非難することがありました。

しかし、彼の仲間の前で威勢よく啖呵を切っておきながら、肝心なことや詳しい事情に言及することは避け、逃げ道を確保しておくという論法は芸術とは似て非なるものどころか、本質において対極に位置づけられていると直観させられました。

こちらで説明した気質や論法には、僕も一時的に嫌な思いをさせられたことがあります。とはいえその論理構造が、偏見や部分的過ぎる情報であることを指摘されると、旗幟を鮮明にすることができず、ブラック企業の上司のように小難しい表情で腕を組みながら黙り込んでいたことが印象に残っています。

こうした気質を持った人と理性的な人間との間には、川が横たわっているとも思いました。

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不思議な話

とはいえ、いまではこちらで紹介した人の問題もある程度愛嬌として解釈することができますし、楽しい時間をすごさせていただいたことには感謝しています。

ちなみに、映画の上映会のほうは、ホームパーティに近くて懐かしい半面、徐々に現在からも遠ざかり、細部の輪郭が不鮮明になっていくことですこし物悲しい気分にもなります。

あと、その人の場合、晩年は人生を嘆くようなことを多く言っていたそうです。理由としては先に挙げた気質以外にも、自己評価が高くてせっかちだったことが関係していたのだと思います。

というのも、彼は速い知性がけっこう発達していてユーモアのセンスがありましたが、困難や迷いがあるとすぐに感情的になって短絡的な言動を取るという短所があったからです。

ちなみに、先述した速い知性という概念は、下記の記事で紹介したことがあります。

 

現下の日本社会では、頭が良い人というと“速い知性”の持ち主であることを意味する傾向があります。速い知性とはどういうことかというと、瞬時に計算をしたり、効率良く事務作業をしたりする能力のことです。

さまざまな知性 - 精神的遊牧民

 

ところで、僕はその人が亡くなった時期に、偶然彼のことを考えることがありました。

すこし奇妙で不可解な話になりますけど、なぜかそのときはその人が狭くて薄暗い部屋に横たわっているビジョンが浮かんできて、僕の名前も読んでいました。もちろんこういうことは、滅多にないんですけどね。

ちなみに、普段の僕は感情に流されたり、声を荒げたりすることはほとんどありません。また自己評価が高くないので、プレゼンスを示す気はないのですが、彼は僕のことを『あの人は怖い...』などと漏らしていたことを共通の知人から聞かされたことも思い出しました。

あと、その人とは価値観が合わないこともありましたが、こうしたときに垣間見られるこちらで説明した気質によって、彼はそう遠くない未来に彼方へ旅立つことになると直観していましたが、そのときがきたということなのでしょう。

ときどきですが、その不思議な人のことを思い出すことがあります。

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