精神的遊牧民

精神的に遊牧民化している人間の個人ブログ。柔軟で型破りな言論が特徴です。

本能と理性

人間の美質

近年は、紀伊国屋書店にさえ外国人への排外感情を煽ったり、アイヌ人を土人扱いしたりする本が陳列され、出版不況にもかかわらず飛ぶように売れているというのが実状です。

かくいう僕も、大学生のときに半年ほど書店員をやっていた経験がありました。

そのため、一般層よりは本の売れ行きには敏感なほうですが、近年外国人への排外感情を煽る本が書店の売り上げランキングの上位になることがあることを懸念しています。


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というのは、読書家や知識人が排外主義に陥って思考停止してしまうと、総じてその流れは民衆の民度にも反映されてくるからです。

ちなみに、日常的に読書をする習慣のある読書家のように、理性的で思慮深い人間の美質は他のひとの立場や問題を自分のことのように考えられる共感力と感受性にあるというのが、僕の理解です。

人間の本能

とはいえ、人間には他者を貶めて優越感を感じたいという暗い本能もあります。

実際、古代の日本では、中国の身分制度を基礎にした律令制で民衆が平民と賤民に分けられていました。詳細は後述していきますが、律令国家の終焉にともない賤民は平民籍に編入したという複雑な事情があります。

江戸幕藩体制時に、士農工商の四民の次位には最下層の身分が固定され、そのひとたちは皮革職人や造園職人、祈祷師や香具師や曲芸師(猿回しなど)、芸能者や刑屍の埋葬者や罪人などの監視と検挙者(いわゆる十手持ち)、牢番や墓守などに従事していたことが多く、職業や住まいに制限が生じることもあったとされています。

十手持ちの場合、その活動の対象には精神障がい者や挙動不審者や協調性の乏しいひとや外国人や他の被差別民が含まれていたという説まであります。

また、被差別民に公的な役職を与えたことには、定期的にお上に情報を報告させることで、活動の対象者というよりも、その本人及び交流のある周辺のひとたちの動向を国家が把握したかったからだという説もあります。

おそらく、このことには実態の分り難いマイノリティの人々の動向を把握したいという国家の思惑も関係していたのではないでしょうか。

ところで、1871年8月の賤称廃止令によって賤民は平民籍に編入しましたが、元賤民たちは新平民という差別的呼称で呼ばれることがありました。

しかし、現代もこうした差別意識は根絶されておらず、部落差別というかたちで、当事者の就職や結婚時の障害になっている、という意見もあります。

そういえば、すこし前にハフィントンポストが、日本の部落差別に関する報道をして話題になっていましたよね。


参考サイト
www.huffingtonpost.jp

諸外国での差別問題

諸外国においても、こうした類型の差別によって生き難さを抱えているひとたちがいました。具体的には欧州に多かったとされています。

欧州にも、ジプシーやロマと呼ばれる被差別民が多数存在し、きちんとした教育が受け難い環境にあったことで識字率が低く、芸能者や家畜の飼育や鍛冶工や占い師などに従事していたことが多かったといわれています。

ところが、欧州におけるジプシーやロマに対する迫害はあまりにも凄まじく、1933年にはナチスが絶滅政策を実施し、50万人近くが虐殺されたといわれています。

皆さんの中にも、書籍や西洋の映画作品などを通し、こうした情報を見聞きされたひとは多いのではないでしょうか。

しかし、こちらでは被差別民が時として賤視されることに従事していたことではなく、逆にそのくらいのことをしなければ生き難くいほど、当事者への差別意識は強烈なものであったということを伝えたいのです。

被差別民と芸能

近代も、洋の東西を問わず被差別民への差別意識が強いところでは、先述したように当事者が特定の職業や立場以外では活躍し難くなっていたことが推測できます。これは自殺問題とも関係している可能性があるのではないでしょうか。

被差別民には、芸能者となるひとが多かったことから、歌や踊りや雑技といったパフォーマンスを披露する芸能一座などの大規模な集団を持つことも多かったのではないでしょうか。

そうしたところでは、荒くれ者や障害者や移民や高齢者やひきこもりといった、社会に適応し難いひとたちを受け入れることで、多様なカウンセリングや互助交流が行われ易く、社会の秩序を維持する役割も果たしていたと考えられます。

また、さまざまなひとや情報が集まることで、マイノリティのディアスポラなコミュニティとしても機能していたことでしょう。おそらくサーカスはこの流れを汲んでいます。

ちなみに、芸能活動が自分と外の世界との間に横たわる溝を埋めることに繋がっている場合、それは自己実現を目的とした正真正銘の芸術に昇華されている、と言っても過言ではありません。

差別と律令制

ところで、日本の士農工商の四民の中で、武士の次が農民になっていたことには、日本人は近代まで農業に就いている人間が多かった為、多数派であった農民たちに甘やかな優越感に基づいた同質性を抱かせる意図があったとも推測できませんか。

こうした民衆の同質性を高める手法は、百姓一揆を抑制する為にも機能していたのでしょう。ちなみに士農工商の四民が設けられた江戸時代の日本人は、その8割が農民であったといわれています。

もっとも、士農工商の四民の中の武士以外は、ほぼ同等だったという説も一般的です。しかし農業よりも、商業や職人のほうが業務内容が複雑で高収入の場合も多かったということは容易に推察できます。

当時の農業は、現代のように肥料や農具が発達していなかったので、日照りが続いたりすると農民にとっては致命的でした。そこでこうした場合などに、農民が作業をボイコットすることを危惧して作られた政策が士農工商だったとも考えることができませんか。

以上のことからも、人間には自分よりも下位の層を設けて他のひとを貶めたい、という階級意識と本能があるとも思いました。

ところで、人類は貨幣や資本主義という共通のフィクションを信仰することによって、社会のシステムを発展させ物質的に豊かになったといったことが、世界的ベストセラーになった『サピエンス全史』の中で著者が説明しています。

ところが、社会のシステムを発展させ物質的な豊かさを招くことのある、その共通のフィクションという概念は、社会の底流に存在していた差別意識にも該当していた可能性がありませんか。もしそうだと仮定するなら、律令制によって民衆に優劣を付加させ、一部のひとを虐げることで国家は利得を得ていた可能性があります。

このように、人間の精神の深部に横たわるユーフォリアに着目する機会があったのは、今回の文章の原文を主に夜間に書いていたことが関係しているのかもしれません。

理性の必要

それから、ネット上で匿名で運営されているヘイトサイトに代表されるように、特定の素性や立場への一方的な怨嗟や差別意識があったり、見当違いな怒りに基づいていると考えられたりする場合は、明らかに問題のある行為を繰り返される場合が見受けられます。

しかし、率直にいっても自分の姿を隠し、一方的に他のひとの個人情報や事実ではないことを大声で言いふらすことを繰り返すというのは、常軌を逸しています。

また、他のひとに自分の価値観や感情論を押し付けなければ気が済まなかったり、一方的に個人の権利を侵害したりすることを繰り返すというのも、賢明な選択とはいえません。

したがって、もっともらしい建前や理念があったとしても、そうしたことが繰り返されると、むしろその影響で社会の秩序は滅茶苦茶になってしまいます。

こういうことをいうと、極端に感じられる方もおられるかもしれません。しかし僕の言葉があなたの心の片隅に残り、現実でも何かの拍子にこちらで説明した排外主義や排他主義的な問題を直観したら、気を付けてください。不意に向こうから近付いてきて、知り合った相手が働きかけてきた場合などは尚更です。

尚、本記事には部分的に差別的な呼称や表現が用いられていますが、差別の温存や助長を意図しているわけではありません。事実や史実を基軸に、学術的理論を構築をすることで、差別問題の実態と人間の心の仕組みを解き明かしていくことに重きを置いております。

差別問題に通暁している専門家の方からすれば、拙いと感じられるところもあるかもしれませんが、趣旨をご理解いただき寛容な態度でお読みくだされば幸甚です。

理性があなたとともにありますように。

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