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言葉と論理

口語のコミュニケーションの場合も、論理以外に言葉が重要になります。訛りのある場合も、話し相手が標準語しか話せない場合は、可能なら標準語で話すほうが適切です。なぜなら正確な論理の流れを共有する為には、共通言語を用いることが望ましいからです。

現在、自分自身は、地方の郊外に住んでいてインドアな割にはいろいろなところに行きました。さまざまひととの出会いがありましたが、気付いたことがあります。標準語が話せないから訛りのある言葉を使う場合は仕方ないし、自分も小学生の途中まで少し訛りがありましたのでいい加減なことを言うつもりはありません。

しかし、普段は標準語を話していても、極端な意見を主張するときに語彙を簡素にした方言や乱暴な言葉を繰り返すひとには不思議なひとが多かったな。おそらく、論拠に脆弱性があることを偽装して主張する際、有効だったのでしょう。


論理学には、トートロジーという概念があります。トートロジーを分かり易く説明すると、同語の反復を意味します。トートロジーは幅広く応用可能な安易な論法ですが、論理の範疇は極端に狭くなる為、論理的に破綻することはありません。

例えば、イスラム国のメンバーに対して確認の為、『あなたはイスラム国に加入していますか?』と質問しても、『私はイスラム教徒です』といった言い方でしかと返答しない場合、これがトートロジーです。

それから、トートロジーは、先述した例えのように倫理的な問題を含む思想信条に関することを偽装したり、押し通す際にも利用され易いのです。その為、論理学が普及した高信頼国の公共圏では利用すべきではないと考えられています。

また、こうした論法は、ビジネスの場でも利用した側が短期的には有利になることがあります。しかし、利用した側にとって長期的な問題や損を発生させ易くなるという瑕疵があります。

その場合、事後処理に莫大な時間や労力などが必要になってしまうことがあり、これも論理学が普及した高信頼国の公共圏で利用すべきではないと考えられている主な理由です。

また、トートロジーを使って対応されると、正確な返答を求める為、地道に論拠を提示していっても常に的外れな同様の答えしか返ってこないから、人間らしい正常な会話は成立しなくなってしまいます。

翻えって、質問者の側がトートロジーを使った場合も同様ですが、基本的に聴いたり答えたりする義務のないことに介入しないようにすれば、そのようなことは起き難くなります。


論理学に馴染みのないひとは、トートロジーは同語の反復で、安易な広い道であると解釈すれば記憶し易いでしょう。しかし、ある程度の人生経験のあるひとなら解ると思いますが、肝心な話し合いの場でこうした論法が使われた場合、トラブルに巻き込まれる可能性がありますので注意が必要です。

特に、論理構造にはいっさい触れようとせず、ただ感情に訴えてこうした論法を使われた場合、その主張を鵜呑みにするとトラブルに巻き込まれる可能性がありますので要注意です。

こうした論法が繰り返された場合、おそらく論理学に馴染みがなくても直観の鋭いひとなら、論理は破綻していなくても構造のほうに欠損があることで違和感を感じると思います。

もし、自分の側にこうした論法を使うひとが居て、長期的な問題や損が発生する可能性が発生した場合、素直にミスを認めてただでさえ複雑なことを更に複雑にしたり、大事にならないように取り計らうことは良策になります。

それから、語彙と人間性について私はこう思っています。ジョージ・オーウェルの小説『1984年』では、人間が機械のように管理された整然とした社会で、語彙が極端に乏しいニュースピークという言葉を話すことが強制されています。しかし、真の人間性とは主として教養によって培われ、ボギャブラリーや寛容さや感受性に比例します。


参考書籍
一九八四年

参考サイト
【5−2】トートロジー(循環論法)に気をつけよう | シンクロン・ナレッジ
狭き門より入れ - 故事ことわざ辞典

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