精神的遊牧民

北海道の海辺に輝く朝焼けのように清らかなブログ

ネット社会とモラル

こちのブログ『精神的遊牧民』は、更新頻度がマメなほうではありません。しかし、以前書いていたテキストを中心に最近まとめてアップしてみました。

推敲はさっとしかしていませんが、過去に見聞きした内容が中心になりました。原文を損なうほどではありませんが、物語性が高くなって複数の解釈が可能な文章が多くなりました。

最近、ときどき地政学の本を読んでいることも関係しているのかもしれませんが、これは宿痾なのかもしれません。尚、今週以降は、更新する予定はしばらくありません。それからこちらのブログは、ひょっとするとBloggerに引っ越すかもしれません。

今までに、こちらのブログも直接注意や問題視する声が寄せられたことはありませんが、Bloggerのシステムとレスポンシブwebデザインに興味がある為です。

しかし、はてなブログも使い易くて気に入っているので微妙な心境です。はてなは、人伝に聞いてもIT関連の企業のなかでもユーザーの評判も良いです。B層の利用は少なく、高信頼国にふさわしい高信頼企業のモデルになっています。ですから多くのユーザーが利用しているわけです。

それから、ときどき利用させていただいているPC向けのネットのサービスを運営している企業だと、Googleはもちろんですけど、ブログ村やサイバー・エージェントの評判が良いですね。

といっても、ブログ村からときどき送られてくるアンケートには余裕があって気が向いたときにしか記入していないし、紹介した企業が好評を得るように取り計らう目的で今回の記事を書きはじめたわけではありませんが。


参考サイト
www.hatena.ne.jp
www.google.co.jp
www.blogmura.com
www.cyberagent.co.jp


こちらのデータのほうは、定期的に保管していますのでそのデータ形式と互換性があれば移管作業は容易です。現在はまだ検討段階ですが、決定した場合は早急に連絡します。

前置きが長くなりましたが、本題に入ります。最近の記事をさっと読み直してたら、全体的にコミュニティや社会問題を扱う内容が主となりました。

また、近年はスマホタブレットでのコミュニケーションが主流な場合、地域や宗教といった社会のしがらみが希薄になって社会のあり方も変わってきました。そこで、今回は、ネット社会とモラルに関する話題を扱うことにします。


ちなみにこちらは個人がハンドルネームで運営している空間です。今までに、実社会でのみ付き合いのあったひとにはこちらのことを話したことは一度もありません。もともと、こちらを知っていたひとやネット経由の関連行事の場合を除き、自分からこちらのことを話したこともありません。

こちらは、本名で運営していませんし、実社会を経由して実社会で付き合いのあったひとと関係しているSNSなどからはリンクしていませんし、こちらからもリンクしていません。

要は、基本的に匿名で個人が運営している私的領域であるわけです。特に80年以降に生まれたデジタルネイティブたちにとっては、自宅のリビングのような場所でもあります。しかし、近年は、本人と紐付けされているという前提のTwitterSNSを中心に、炎上する事例が増加しています。

例えば、Twitterで出先のコンビニやアルバイト先の飲食店の冷蔵庫に土足で入って騒ぎになったり、差別目的のブログやSNSでマイノリティに対し、明確に誹謗中傷する言葉で恫喝することは、基本的にマナー違反です。

物事は、安易に黒か白かでは決め付けられませんが、上記の場合にその行為のみをジャッジすることを求められれば、その行為自体は黒ということになります。

関わっている場所からネット上で扱う目的で、明らかに問題のあることをすることはよろしくありません。この辺りのことは世代に関係なく、一般常識で考えれば理解できることでしょう。

ちなみに、ネットのなかには明らかに差別を目的にしたサイトもあり、そうした問題を扱った報道が近年増加しています。


参考サイト
www.huffingtonpost.jp
tocana.jp


また、関わっているコミュニティとは基本的に無関係に、個人としてハンドルネームで運営しているコンテンツはネット上には沢山あります。こちらもそうですけど。

こちらでは、個人的に興味深いと感じた情報や報道をフリーハンドで紹介することがあります。そのなかには、ひとによっては不快だと思われたり、一時的に問題視される情報もあるかもしれません。不快に思われる場合はお詫びしますが、その場合はしばらく読まれなくてけっこうです。

こちらには、先述した前提がありますが、基本的に第三者から見て登場した個人が特定されない程度の配慮はしています。例えば、センシティブな話をするときに登場する一般人については、固有名詞を避けています。

日時や場所や地域や職業についても、限定された表現よりも幅広い表現を用いています。例えば、自殺の報道の場合、都内の千代田区神田神保町で発生したのであれば『千代田区神田で発生した自殺』といった具合に表記し、具体的すぎる自殺方法やその為の道具が購入された場所などについては控えています。

例外的に、大手のメディアで詳しい内容が報道されたことのあるドクターキリコ事件については詳細を解説していますが。

特筆、面倒な問題や曖昧な問題について意見を述べる場合も、後で問題になったり、気分を害され難いようにし、断定口調を避けることもあります。例えば、事故死なのか自殺なのか分からないけれど自殺の可能性が高いと考えられる事件を扱う場合は、『自殺“の可能性がある”』や『自殺“と考えられる”』といった表記にしてから論拠を述べるようにしています。


それから、他のひとの意見を参考にする場合は、基本的に情報元を表記しています。

しかし、場合によっては伏せることがあり、『あるひとの話を“自分にはこのように読解できた”』といった表記にすることがあります。要は、微妙な話題のときに法外な方法や問題とならないように可能性の話をするわけですが、その場合、複数の解釈が可能になることがあります。

また、文章のなかに、部分的に差別的や極端と解釈される情報が含まれたり、そうした情報を参考資料としてリンクする可能性があります。その場合は、その情報に一定の価値があり、国際社会の常識に沿うと考えられる場合です。

なぜかというと、社会問題を扱うことのあるブログやSNSというのは個人メディアです。しかしながら、個人で運営しているものであっても、メディアというものは基本的に権力の監視装置として機能するべきものです。

僕は、反権力主義者ではありませんが、メディアが基本的に権力の監視装置であるという意見は、基本的な権利に基づいた報道の自由が認められている国ではどこでもそうなっています。

といっても、これは社会システムのミスを修復したり、視野が狭くなっている場合に別の観点を示唆するといった趣旨からです。もちろん、要人やその周囲のひとの基本的な権利を侵害したり、ゴシップを探すといったことはすべきではありません。これは民間人や自殺のサイト管理人に対しても同様です。


個人メディアや私的領域の場合も、他にも注意しなければならない場合はあります。それは関わっているコミュニティの校則や社則や会則などに、コミュニティに関する言動を規制する内容が含まれ、確認後にコンセンサスが成立している場合です。

その際、コンセンサスを成立させる為には、同意を求められた側の過去の言動については不問にしたり、規制する内容の詳細を具体的に示すといったフェアな形式にする必要があります。

僕の場合は、他のところでも言ってきたことですけど、上記のことに同意を求められたり、具体的に注意されたことはありません。というか、匿名で運営しているSNSやブログでは、第三者が見ても登場する個人が特定できない程度の配慮はしていますし、実社会でのみ付き合いのあったひとにその存在を詳細に話したこともありません。

ですから、当然、その存在すら指摘されたことはありませんが、ある程度他のひとたちに配慮することは望ましいと思っています。ちなみにそういったこととその論理的整合性は学生時代からも一貫しています。といっても、倫理的に問題のない記事でもその記事の関係者の心情を再考して、加筆・修正を行い、改善や軌道修正をすることはときどきあります。


しかし、ボリュームのあるブログやSNSの場合、部分的な情報を差別などの他の問題に関連付けられたりすると切りがありませんが、人間の情操や社会システムがネット社会に追い付かなかったり、対応できないことで問題になりかけたという話を聞いたことがあります。

今後、本ブログもそうした問題や社会情勢を考慮しながら、適切なあり方と表現を模索していく方針です。ちなみに現代は、デジタルネイティブたちが社会の中間層に入ってきました。

スマホタブレットの普及によって、現実社会では他人に干渉する機会が少なくなったということは、ある意味では洗練されているのかもしれませんが、多少寂しい気もします。

いずれにしろ、他者との関わりという人生の主題となることは、小さな箱の中へと移ってきました。


参考サイト
koshikien.co

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