精神的遊牧民

北海道の海辺に輝く朝焼けのように清らかなブログ

村社会と集合知

現在の僕は、日本海側のある地方の郊外のほうに在住しています。

最近、知人たちから空気を読まなくてはいけないことによる生き難さは、郊外や農村部に多いという意見を聞きしました。

村社会の場合、個人や少数派が合理的であっても村のなかで主流ではない先駆的な意見を主張すれば『内』ではなく『外』のひととして考えられる場合が多いでしょう。もちろん村社会には空気や集合知に選択をゆだねていれば、お互いの距離が近づく分、不足点を補い合い易くなるなど良い面もあります。

ちなみに、村社会では、実は個人的な発想や要求であっても、村全体の方針ということにできれば、矛盾点が存在していても『内』の意見にすることはできます。

要は、個人の意見を村全体の意見として主張した場合です。そのような場合、必ずしも本人の能力が特別高くなくても、好奇心旺盛で熱意があり、自分を過大評価しがちなひとが村の空気を利用することが多いと思います。

ある程度の年齢になれば、そういったグループの論理や状況も理解し易いと思います。しかし、村社会の場合、論理連関よりも情緒を優先させることで、村側の問題になってしまう場合があります。情緒が優先させることで複雑な事情が生じ、システムの歯車がずれて噛み合わなくなったり、磁場が乱れたりすれば尚更です。

そもそも、個人や少数派が合理的な意見を主張してもそれが認められない場合、また個人的な意見を村全体の意見として主張した場合、村全体の知性が高くなっているのか、と分析するとそうではありません。

集合知や全体の知性という概念について、おもしろい本がありますので紹介しておきます。ドワンゴ川上量生さんが岩波書店から出版した『鈴木さんにも分かるネットの未来』ですが、この記事を書いている最中にさっと呼んでいましたが、専門用語も分かり易く説明されているので初心者にも読み易いですよ。

ネット社会やネット世論のことも、明快に解説されていますので興味のあるひとは参考にしてみてください。


参考書籍
鈴木さんにも分かるネットの未来


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