精神的遊牧民

北海道の海辺に輝く朝焼けのように清らかなブログ

価値観と観点

価値観や思想には、知的水準が高くなくとも、民族的感情に訴えることで民衆を扇動し、社会に影響を与えるものもあります。

現在も、欧米を中心にポピュリズムが台頭し、各国で自国が建国されたときの先住民の権利が最優先されるようになりました。しかし、その一方で移民先の国と先住民に敬意を払っていたり、友好思想を持っていたり、貢献している外国人たちへの排外主義の傾向が高まっています。

排外主義は、各国の一般国民から高度な高等教育を受けている知識人やインテリにも影響を受けているひとが増えています。

マイノリティ同士の人間関係にも、このような論理が適応される場合があります。例えば欧州ではユダヤ人とロマは不仲な場合が多く、ユダヤ人の現場労働者たちが自分たちは定職に就いているということで、その国の先住民ではないロマを非難していました。

しかし、相手を非難することで自分たちの立場を安定させようとする者の根底にある問題というのは、いつの時代も近質なものであることが多いのです。

諸外国で、これまでシンパの数は多くても言い難かったことは、TwitterSNSでの意見がうねりとなり、見方によっては国際社会で多数派と解釈され易い価値観に、強固に抗う動きにはボディー・ブローのように響くようになりました。

僕は、先述した外国人たちへの排除に反対ですが、近年はそのうねりがノックアウト・パンチのように各国の法制度や政局に直撃し、高い影響力を及ぼすようになりました。しかし、本来は理性的に柔軟な思考で言葉を選び、世の中の争い事や誤解の多くを解決や緩和へ導いていくことが望ましいのではないでしょうか。


有名な話ですけど、ナチス・ドイツヒトラーは著書『わが闘争』に記していたように食物摂取を目的とした社会を作ろうとしました。

かれは、第一次世界大戦中に兵士として従軍した際に目撃した鼠に食べられている仲間の兵士の姿や、画家になろうとしていたときの飢餓から食べるか食べられるか、明るいか暗いか、黒か白かといったことが思想の理念型になったと言われています。

総じて、物事を二者択一にし、自分たちとは異なる相手を排除しようとする論理は視野が狭くて雑ですが、本能的で分かり易いので普遍性があるのは事実です。古代ローマの軍人ユリウス・カエサルも『人間は自分の見たいようにしか世界を見ない』という名言を残していますので古代から普及していたのでしょう。

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自分たちとは異なる相手を排除しようとする論理は、外側に向かうエネルギーが非常に高いという特徴がある反面、理性よりも情緒が優先されることでミスが起き易くなり、精神医学などの世界で“固執”と呼ばれる深刻な心理状態に陥り易くなります。

この固執を分かり易く説明すると、例えばビジネスや有事の場で、初期のうちに状況を判断し、早急に出した課題に執着し、そのことを裏付ける情報のみ集めようとする心理状態のことです。
 
そして、固執は短絡的な感情論や個人的な価値観を持ち出したりして、プロジェクトの目的とは異なるところに課題をつくり、その解決の為に猛進することが目的になり易いという瑕疵があります。

特に、独自の課題の為に前進すること=成果という構図が定着すると、的外れな調査の為の調査や会議の為の会議といった非合理なことがすべて成果ということになってしまいます。その場合、評価するのも自分たちだからその意味では前進するかぎり、結果は常に勝利か大勝利といったスゴいことになります。

ところが、押すことのみで引き難くなり、そのうち現場を中心に潮目が読めなくなることが懸念されます。なんだか日本の敗北が決定的になったガダルカナル作戦時の旧日本陸軍を彷彿させられましたが...。

そして、視野が狭くなることで、プロジェクトに関した書類の作成や提出、予算の支出などに必要な順当な手続きが省かれたり、ミスを指摘されても理解を求める為に合理的な説明がし難かったり、重要な情報が外部に漏れるといった後々問題になりえることが増え、本来なら中止や撤退するべき状況で判断を誤り易くなります。


社会がこのような状態に陥るとき、固執外にももうひとつ特徴的な心理状態がありますが、これには人間の原始的な自我防衛機制が関係してきます。

脳機能が対処できないほどの負荷が掛かる事実を直視しなければいけない状況で、その事実を否定するという精神医学などの世界で“否認”と呼ばれる心理状態です。

この否認を分かり易く説明すると、例えばある日の早朝、その日の夕方に歯医者で苦痛の伴う治療を受けなければいけないことになっていても、通勤や通学時間が近いといったすぐに対処できる小さなストレスのほうに意識を向ける心理状態のことです。

しかし、そうした日常の単調な作業や小手先の作業を優先させる心理状態は、ハードルの低い目先の作業に没頭して視野が狭くなる傾向があり、重要なことに適切に着手できなかったり、遅れることで悪化や複雑化の原因になります。

よしんば、大義に基づいていても、本来の目的からピントがずれていたり、狭い世界で一応通用していた価値観が他のところにも通用すると考えている場合は、国際社会の常識や不文律からも逸脱したものになっている場合が多いのです。

どんな社会であっても、自分たちとその内在論理を突き放して客観視せずに自画自賛し、国際社会の視点から見て、時代にそぐわない価値観が基準になっていると、硬直し、柔軟な対応や軌道修正をすることが難しくなります。

ちなみに、精神医学などという言葉を聞くとおおげさに解釈するひともおられるかもしれませんが、僕の場合は依存症について勉強したときに専門書と香山リカさんのエッセイを少し読んでいた程度です。

こちらで紹介した心のメカニズムは、主に文学作品を読んでいるときに参考にしました。否認については、イタリアを舞台に過激な思想を持つ科学者に挑む大学教授を描いたダン・ブラウンのイカした小説『インフェルノ』の登場人物が紹介していた内容を参考にしています。

参考書籍
インフェルノ(上) (角川文庫) | ダン・ブラウン, 越前 敏弥 |本 | 通販 | Amazon
インフェルノ(中) (角川文庫) | ダン・ブラウン, 越前 敏弥 |本 | 通販 | Amazon
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ナチス・ドイツヒトラーの場合も、独自のソ連観を持ち出し、ソ連を食糧確保の植民地にすることを目的に独ソ不可侵条約を無視し、無謀な戦いに突き進んだ挙句、ピストルで自裁するという最期を遂げています。

ナチス・ドイツの場合、独裁体制という意味では同様でより優れたシステムだったソ連へのコンプレックスと対抗意識が強かったと考えられます。

そして、アウシュビッツ強制収容所で、ドイツ人と文化と社会に敬意を払っていたり、友好思想を持っていたり、貢献していたユダヤ人たちの人権が蹂躙され、排除されたことは国際社会に衝撃を与え、悲劇として刻まれました。

そうしたまちがいを繰り返さない為には、ひとによって解釈の異なり易いことについて考えるとき、可及的に極端な価値観が絶対に正しいと決め付けないことが重要になります。

元々、本文は価値観と観点に関したことが主軸となっていましたが、書き進めるうちに文化比較論やコミュニティに言及することで、つい自殺と人口減少問題が深刻なことで知られる日本海側のある地方都市のことを考えざるをえませんでした。

どんな地方であっても、こちらで指摘した問題が深刻な場合、民衆は日当たりの悪さや陰鬱な重苦しさに、疑問や危機感を感じるようになります。

そして、背を向けて難民化したり、穏やかで豊穣な地に希望や光を求め、出て行くことが続出することでしょう。こういうことは自殺や人口減少問題にも通じています。

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それから、日本の風土では、哲学的過ぎると感じるひともいらっしゃるかもしれませんが、迷いが生じたときは、敢えて世の中は複雑で暗いところのほうが多いと考えてみる。そして、時折、暗闇のなかにうっすらと明かりが差し込み、その光は移ろい行くと考えてみる。

どうとでも解釈できる言い方かもしれませんが、迷いを感じたとき、世の中は基本的に暗いものだと考え暗闇に目を凝らし、時折差し込む明かりのほうを知覚してみる。

そうして、闇と光の混在する全体を俯瞰してみる。その為に発生する、明滅するもののなかのどうとでも解釈できることからも精度の高い価値観を習得したり、現実的な選択ができるようになり、光明を見出せるのではないでしょうか。

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