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精神的遊牧民

北海道の海辺に輝く朝焼けのように清らかなブログ

書籍『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか』

今回の記事は、高村友也こと寝太郎さんの新刊『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか』が出たこと。それと休止されていたブログが再開されたことなどです。

本書は、先月8日に同文館出版から出版されました。なんと内容は寝太郎さんの幼少期から現在までの自伝です。雑木林に小屋を立てて暮らす現在の生活に辿り着くまでの話が収録されています。

著者である寝太郎さんは、東京大学の哲学課を卒業後、慶応義塾大学大学院の哲学課に進学されて修士課程の単位を取得後に退学されています。

僕自身も、哲学を専攻していたことがあって、シンプルライフとミニマリストには親和性を感じていますから著者の主義や思想はある程度理解出来ます。

『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか』はミニマリストのガイドではなく、著者の自伝です。とはいえ、寝太郎さんのシンパである僕的には興味深い内容ですし、ミニマリストやシンプルライフ実践者の自伝として良書です。

本書には、山梨の静かな雑木林に二束三文で土地を買って小屋を建てた話から最近神奈川の河川敷にも土地を買って拠点を増やした話以外に、子供時代から小屋で生活するまでの経緯も収録されています。

結局のところ、その時代の平均的というか標準的な生き方をする人が一番得をし易いように社会システムが設計されているといった指摘には僕も同意です。後、ハーブの体験談までされていたところにはビックリさせられました。僕はそういうことに詳しい方ではないのですけど、ほっこりではなく実物を練りこんだクッキーを食べられたそうでドキドキしながら頁を捲っていました。

全体的には、シンプルライフとミニマリストのバイブルになっているソローの『森の生活』の現代版と言い換えてみると、このような主義や思想に精通していない読書家にも理解され易いかと思います。『森の生活』は湖畔に自力で建てた小屋での思索や文明社会に対する考察がメインのアメリカ文学の名著にもなっている本です。

著者の、自分と社会との間に横たわる溝や孤独に対する考え方や彼女との失恋経験には、つい昔の自分自身を重ねさせられたりもしました。僕の場合は二十代後半のある時期にいろいろなことがあって、引越しをして自分を変えようとしました。

その際、仕事や友人と知人達との人間関係は続けながら文明社会と距離を置くことにしました。結局、洗濯機と冷蔵庫とガスコンロと炊飯ジャーと給湯器を手放す程度でしたけど、一般的な人の視点で考えれば周囲にはやや逸脱したパンクな印象を与えていたかもしれません。

当時は、まだシンプルライフとミニマリストに興味を持っている人は少なく、周りでも実践している人はいませんでしたので。TV番組を視ないことがイカしているみたいな論調が出始めた時期でもありましたけど、こちらも周りでは他に実践している人はいませんでした。

以来、現在もメインにしている自宅に来たことのある知人や仕事関係者達からは『ええっ!? 本当にここに住んでるん?』などと驚愕されることも多かったです。

本書を通読し、著者の価値観と世界観を勉強させていただきましたけど、世の中には自分と他人とを比較することが幸福の基準になる人とそうでない人がいる、ということを再認識させられました。ちなみに僕は後者です。

僕の場合は、文明社会と距離を置く為に、実践したことは洗濯機と冷蔵庫とガスコンロと炊飯ジャーと給湯器を手放す程度でしたけど後悔はしていません。この間も年長の友人達から『やっぱり、流石に不便じゃないの?』って、今までに何回も指摘されてきたことを言われました。

そのときは『おかげでこの時季はバターが美味しい』などと応えていました。こちらに美味しいバターの話をしたことには合理的な意味があって、なんでかっていうと冬場は室温で保存可能だからです。

後、最近、ある知人と食べ物の魚介類の話をした際、北の方ではイクラの密漁が深刻で川辺に鮭の死体が散乱しているという話になったのですけど『なんならその鮭、拾って食べたいね(笑)』なんて言ったりしていました。もったいないから。

読了してから、少し時間が経っていますので抽象的な表現が多くなりました。不足点を補う為に、視点を切り換えたり自分の話を絡めたりと合わせ技を駆使してみました。


参考書籍
僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って (DOBOOKS) | 高村 友也 | 本 | Amazon.co.jp


関連サイト
寝太郎ブログ