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精神的遊牧民

北海道の海辺に輝く朝焼けのように清らかなブログ

出会いや選択と幸福度

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最近、気になるニュースを見掛けました。2ちゃんねる利用者の高齢化と老舗サイトの閉鎖についてですけど、ソースは東京ブレイキングニュースです。

n-knuckles.com

記事の中で説明されている通り、SNSは基本的に個人個人を繋ぐツールです。特定のコミュニティに拘るよりも、個々が主体となり、その時々に応じて関係性を持つ対象を選択出来る方が人間関係は気楽ですし、多くの選択の中から一つを選んだ方が幸福度が高いのは明らかですよね。

コミュニティサイト運営者(最近はブログとリンク集サイトとして機能しています)としては寂しい気もしますけど、人々の関わっているコミュニティが増え、特定のコミュニティに執着し過ぎないことは良いことです。

これは、現実のコミュニティにも言えることです。一箇所に拘り過ぎると、知力に問題のある人や意思が弱い人の場合は、周囲の人間のことを必要以上に知ろうとしたり、本来関係性の低い相手とも仲良くしようとしたり、義務でもないことを押し付けようとするなどの迷惑なトラブルを起こす傾向があります。

しかし、そういった問題が多い場所では興味を持つ人は減っていき、参加を呼び掛けても特定の人種以外は集まらなくなります。

先述してきた症状は、傲慢症候群ともかぶっていますけど、普通の人は自分と他人との境界線が曖昧になった北風にはなれるけど太陽にはなれない相手を前にすると『うおっ! 一体何なんだ!?』と感じることが多いと思います。

webronza.asahi.com

私事ですけど、昔頼まれてそういった人々が多い任意のコミュニティに参加したことがありますけど、何故か一方的に高圧的な態度を取られて残念な思いをしたことがあります。僕自身は他人に対しては寛容な方だと思いますし、ただ普通にその場所と時間を楽しみたかったのですが。

典型的なB型気質である僕などは、良い意味でもそうでない意味でも執着や拘りが少ないです。一瞬で興味をなくすこともありますし、極端に不愉快に感じたら呼び止められそうになってもさっさと帰るようにしています。

旧来の日本社会では、和を乱す行為をすると周囲から距離を置かれて村八分になる可能性がありました。でも一時的に離脱したりただ遠ざかる場合は良識と将来性のある一般のコミュニティであれば、ちょっと寂しいとは思われても非難されるようなことはありませんので大丈夫です。

ちなみに、この文章の原文を書いていた時は出先でした。事情があって少しの間メインの家(の一つ)を離れていて、そろそろ戻ろうかと検討していた時でしたけど、最近は遠出する時はひっそりと旅立つことが多くなりました。

少し遠出していたくらいでは、殆ど付き合いのない人には解らないですし、先述したようにそのくらいのことで執着されたり、非難されることはありません。

でも、平坦な日常に疲れてきたり、気分転換をしたくなったら関わっているコミュニティを増やし、特定のコミュニティに執着しないようにして、自分や周囲を客観視することは良いことです。

人生というのは、出会いと選択の積み重ねですけど、昔よりも出会いと選択が増えたという意味では、矢張り良い時代になってきたと思います。

結局、出先では10年以上会っていなくて会いたいと切望していた人には事情があって会えなかったけど、織姫と彦星みたい。

後、末筆ですけど今回の画像は家(の一つ)がある町の海辺です。こちらでも度々紹介してきた猫の住んでいる海辺ですよ。


参考サイト
karapaia.livedoor.biz
karapaia.livedoor.biz
karapaia.livedoor.biz