精神的遊牧民

精神的に遊牧民化している人間の個人ブログ

寝太郎のブログ

引き続き寝太郎さんの話題です。


寝太郎のブログ

寝太郎さんのブログ(http://mainennetaro.blog.fc2.com/)は、もともとは本家サイト(Bライフ研究所)のサブコンテンツだったはずですが、サイトのほうはブログに統合されたということなのでしょうか。

ちなみに、この人は本名で出している著書も売れていますから、影響を受けて同様の生き方を実践する人が増えています。

こうしたことの背景には、その人たちの多くが寝太郎さんやソローなどの特定の本に影響されたこと以外にも、ブログやSNSをやることで相互に感化され、ライプニッツモナドと同様の動きをするようになったことも関係しているのではないでしょうか?

たとえば、寝太郎さんの著作やブログに影響されたからあげ隊長のブログ(http://diary.karaagetankentai.com/)も界隈では有名ですけど、僕はそちらもけっこう好きです。


寝太郎バッシング?

ところで、最近はBライフ研究所のサブコンテンツであるブログのほうにアクセスが集中しているそうですけど、気になっていることがあります。

そちらも、本家と同様にアクセスが多いので、大手の掲示板でも関連スレッド(『寝太郎』で検索すると出てきます)ができています。

実は、僕もたまにウォッチしているのですけど、最近否定的なコメントや不自然なコメントが目立ってネット社会から注視されています。

ちなみに、小屋暮らしというのは、『スモールハウス』の中で紹介されていたように、欧米圏の先進諸国ではけっこう実践している人がいるそうですから、寛容な人や多様性に理解のある人は総じて共感しやすいです。

とはいえ、日本の風土では小屋暮らしやミニマリストというのは、自分の内面的な声に忠実であるあまり、孤高というかカッティングエッジな印象を与えることはあると思います。 f:id:ydet:20181008073502j:plain

ちなみに、経団連の上層にいる人たちや公定ナショナリズム(統治を行うナショナリズム)の熱心な信奉者、寝太郎さんが土地を所有されているような地方の一部の地元民からはおもしろく思われないこともあると思います。

それから、とくに高齢者の多い保守的なところで小屋暮らしをする場合は、完全に文化拘束性を切り離すことは難しいでしょう。

とはいえ、個人の主義や主張を批判するというのは、やっぱりいけませんよね。そもそも寝太郎さんはあっさりしていて嫉妬深くも高圧的でもなく、一般人からストーカーされたり恨みを買ったりするタイプではありません。

彼は、他の人の個人的な権利を尊重していますし、明晰な論理や言葉遣いからも人柄の良さも伝わってきます。

しかし、内面的な声に忠実に従っているがゆえに、好き嫌いは分れるでしょう。


文化拘束性と死生観

もし、資本主義が提供するトレンドの娯楽にさほど関心が持てないなら、寝太郎さんが示すように動植物の生態観察や読書や夜空を眺めることに幸福を見出すというのも良いのではないでしょうか。 f:id:ydet:20181008073519j:plain

というのも、人間はいつかは死んでしまうし、会社や学校や家庭というものもいつかは滅びる、という普遍的な事実を意識してみると、本当に必要なことってやっぱり多くないからです。

それに、人間は基本的に生まれてくるときは独りですし、死ぬときも独りです。こうしたことは鶴見済さんの本を読んでいるときにも認識させられることが多かったですね。

そもそも、地球上の生き物は硫化水素から自然に生まれてきたわけですが、人間が生きることも死ぬこともこうした自然のプロセスとしてパラフレーズしてみると、そこに特別な意味なんてあるわけないでしょう。 f:id:ydet:20181008073539j:plain

ちなみに、僕は生と死のプロセスを直線的に意識することによって、文化拘束性の影響力ががくんと低下するということに気づきましたが、こういう風に思考を続けるとトレンドの娯楽には意識が向き難くなります。

ところで、寝太郎さんは東京大学の哲学課を卒業後、慶応義塾大学大学院の哲学課に進学されて修士課程の単位を取得後に退学されています。

でも、僕の場合は自分の哲学や人生論を語ることはたまにありますけど、寝太郎さんほど頭脳明晰というわけではないですし、東大や偏差値の高い大学を出ているわけでもないです。

僕の場合、高校(「名門!」...ではない)には4年通ったくらいだからな。

参考書籍

スモールハウス (ちくま文庫)

スモールハウス (ちくま文庫)

参考記事 ydet.hatenablog.com ydet.hatenablog.com