精神的遊牧民

北海道の海辺に輝く朝焼けのように清らかなブログ

遊牧民的コミュニティ

近年の僕のフィールドワークの対象は、シェアハウスやゲストハウス等のコンパクトコミュニティというか、遊牧民的コミュニティです。

落ち着いていて気が向いた時に学生やフリーターが中心のところから教職員や外国人が中心のところまでたまに寄っていました。付近に他の用事があったついでに短時間の場合が多かったですけど。

ネット上のコミュニティが一般的になるまでは、学校や会社や地域社会といった一つのコミュニティ内の人と一日の作業が終わった後も食事をしたり、酒を酌み交わしたりして人間関係が完結していることが一般的でした。

また、東日本大震災の直後からしばらく絆と言う言葉が持て囃され、義務的コミュニティで価値観の異なる相手ともとにかく人間関係が密接であるということが健全であるかのように言われていました。

しかし、そういった環境では自分と他人との境界線が曖昧になって自分には直接関係のないことや些細なことで嫉妬して怒り出したり、不幸だと感じられることがあると自分の周囲の人間までも不幸でなければいけないといった執念に支配され易く、精神疾患や自殺等の要因に成り易いという問題があります。

後、以前にお話した記憶がありますが、別に付き合いが長かったり頻繁に会うから家族や友人なのではなく、ほとんど会わなかったりしばらく連絡することはなくとも相手がどのような価値観の持ち主なのか、理解出来るからこそ本当の家族や友人というものです。

過去に僕自身は、環境に適応し難いところで上役には揉み手でペコペコしているのに自分より少しでも不安定だと考えられる相手には徹底的に非難したりする胡麻すり野郎的な態度にうんざりさせられるといったことがありました。

しかし、難癖を付けて立場の弱い者を食い潰したり、怒りや妬みや僻みに支配され易い人物とは関わってはいけないといったことを信用している方から助言されて問題を解決することが出来ました。

その時期、様々な問題を抱えていましたので少しでも気に掛けてくださったり、交流のあった心のやさしい方々には本心から感謝しています。

しかし、どうしても環境に適応し難い場合は、新たに居場所を探したり、自分で作っていくことの必要を感じました。

こちらの画像は明治神宮です。遊牧民繋がりで世界中から人がやってくる自然が豊かな場所の画像を添えてみましたけど、こちらはかなり長期にわたってキリスト教圈の国からの来園者が目立っています。

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ちなみに近年はコミュニティへのアプローチも変化してきています。現代はネット世代を中心に四十代半ばまでの年齢層の場合、複数のコミュニティに所属し、その時々の目的や気分に応じて各コミュニティに集まったり解散したりを繰り返すことが多いです。

特定のコミュニティに参加している時は、他のところとは関係が希薄になったり、消失していますからそういった意味では一般的なコミュニティより人間関係は気楽で遊牧民的です。

僕自身はゲストハウス等の遊牧民的コミュニティに参加している時は、急に電話番や洗い物を頼まれたりしても苦にはなりません。誰が偉いとか偉くないといったつまらないしがらみの類を意識する必要がなく、いつかはなくなるという前提で関係が成立しているからかもしれませんけど。

でも稀にでもふらっと立ち寄って、得体の知れない人達とも窓の外の雨を眺め、美味しいコーヒーを飲みながら懇談出来る場所があるというのは、けっこう幸せなことですよ。

今回のテキストプロットは、某ゲストハウスに集まっていた時に感じたことが基になっていますけど、その日はそこが運営している畑や分館の古民家を見学していました。

その後、昭和度数の高い本館のリビング(というか、小さい茶の間と形容した方が相応しいかな)でまったりしていたら某TV局のクルーがやってきたので驚きましたけど、しばらく懇談していました。

こちらの画像は遊牧民というか、遊牧民的な思考の持ち主で読書と散歩と山登りが趣味の青年だそうです。聞くところによると、こちらの青年は日本中に出没していたという噂があったとのことです。

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