精神的遊牧民

北海道の海辺に輝く朝焼けのように清らかなブログ

11年間の孤独と矜持

最近は、何年この活動をやってきたのか、以前程意識しなくなりましたけど、このサイトを立ち上げた時は、これほど長く続ける意図はありませんでした。
このサイトより長いコミュニティサイトは、若者の自殺掲示板さんと憩いの場さんくらいになりましたね。話題性やカリスマ性のあった界隈の他のサイトさんの多くは閉鎖されました。
チャタートンさんのClub Sui-Cide・マサキさんの自殺企図者・モッツアレラさんの自殺掲示板・ユイさんの埋葬の音・JukaさんのCurrent・K2RさんのDeadLine等がそうです。このサイトの常連だった堕天使さんが作った自殺チャットサイトやりのさんが作った心の病気と赤い涙というサイトもありましたね。
そういった界隈の事情や、サイトを続けている間、他にも取り組んでいた活動があったのですが、上手く行かなくてポシャったことを考えると、何となく続けていた時期もあったこのサイトが11年周年を迎えるということは本当に不思議です。
そもそも僕は、学生時代からこのカテゴリのサイトのユーザーで、一応ネット世代ということになるのですが、ネットの世界から距離を置いていた時期もありました。
けれども、何かしらメッセージを発したり、証言をしたいという気持ちは常にありました。時間や労力等をせびられたり、卑怯な方法で裏切られたり、苦しめられたりして、行き詰まっていた時期も含めてです。
けっこう昔の話ですけど、執拗に頼み込まれて時間や労力等を無償で提供していた人物に道具のように扱われた挙げ句、使い捨てのスケープゴートのようにされ、つまづいていた時期があったのは事実です。しばらくは、粗末に扱われたことさえよく解らず事態を理解し、受け入れるまでに多少時間が掛かりました。
これは言い換えれば、助けを求め、善意で近付いた相手の隙を見て暴力を振るって痛め付け、相手の大切なものをむしり取るようなことですから、並大抵の悪意の持ち主には出来る所業ではないとも感じました。無防備な状態で精神的な暴力を振われていると感じたこともありました。
一般的に考えて、酷い行為をする人物というのは、そうすることが正しいという善意や、何らかの被害者意識が伴っている場合が多いですけど、個人に対する場合は、悪意にも確信的に従っていなければ出来ないものです。個人的には、この仕組みを善意や被害者を装った悪意と定義しています。
助けを求めておきながら、善意で近付いた相手の隙を見て暴力を振るって痛め付け、相手の大切なものをむしり取ると言う構図が成立する場合、自己欺瞞が伴っていようとも悪意にも確信的に従っていなければ、出来るような所業ではありません。無防備な状態の個人に暴力を振うといったこともそうです。
何れもこのサイトとは一切関係の無い人物が仕出かしたことですけど、結果的に、改めて善意と悪意、そして正邪について考えさせられる契機となり、世界には悪意の持ち主が居る、という大いなる真理を学ぶことが出来ました。
異常な状態で思考が研鑽され思想が強化されていったことも、魂をあらたな領域に押し上げ、進化というか、深化させる為の良い経験となりました。
そういった理不尽なことも手伝って徐々にですけど、意思を文章に置き換える能力が発達していき、思うように執筆作業が出来るようになっていきました。
また、長くサイトを続けていると、同じカテゴリのサイトを運営し始めた方やこれからサイトを立ち上げたいという方からアドバイスを求められることがありました。
しかし、自分の気質やリズムに合ったサイトの運営や管理方法というのは、長く続けなければよく解らないものです。ですから、今後もそういった意見を求められることがあってもあまりどうこういう気にはなれません。
ただ、敢えて一つ挙げるなら、ブログや日記等のメッセージやお知らせをスムーズに発信出来るコンテンツは、自由度の高いサイトや活動を続けていく上で必要なことです。
出来ればTwitterや会員のみロム出来るSNSではなく、不特定多数の方がロム出来て、軽快に動作するコンテンツが望ましいですね。
後、一般的な日本社会の価値観からすれば、微妙に闇側と解釈されることもある活動の場でこういうことを言っても説得力に欠けるかもしれませんけど、ある程度適性があり、突き詰めて極めたいと考えられること、またそのくらい価値があると考えられることは、一時的につまづいたり、多少形式を変化させることがあったとしてもとにかく続けていくことが重要です。僕自身もサイトを続けていく所存です。
これは宗教や哲学的活動、生と死に関する魂の問題に触れる芸術活動だけでなく、ありとあらゆる仕事、つまり仕えるということ全般にも言えることです。
ご清聴、ありがとう。