精神的遊牧民

精神的に遊牧民化しているミニマリストのブログ.

現代人の幸福論

今回も、最近の記事にも関連した内容です。

こちらではシンプルな幸福論の話をします。気が向いた方はお付き合いください。

もし、頻繁にキレそうになってしまう場合は、他人から押し付けられたり、刷り込まれたりしたわけではないシンプルな生き甲斐や自己実現を探してみるというのも良いでしょう。

ちなみに、生き甲斐や自己実現は食材と同様に、シンプルで自然なほうが副作用がないので無難です。

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ところで、僕はいままでにさまざまな人間や社会を見たり、長いこと自殺のサイトを主催したりしてきましたが、こうした経験の総和からも実感させられたことがあります。

それは、精神障がい者や未成年でもないのに、一方的に他人の個人としての尊い権利を容赦なく奪う人は、容赦なく奪われて力を失うことになり、

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惜しみなく与える人は、惜しみなく与えられていくことになるということです。

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それから、日本のように典型的な高信頼社会の場合、ハンディがあったりすこし変わっていたりしても、知恵や経験に投資する習慣があり、

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理性的で腰が低く、他人の個人としての尊い権利を尊重できる人が長期的には一番得をすることになるということもです。

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こうしたことには、時代や社会情勢も関係していますが、コミュニティの場合も同様です。

理性の恵みが、このブログを気に入ってくれたあなたにもありますように<秋の涼風に吹かれながら言葉を寄せて>

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参考ブログ

成功へ欠かすことができないもの。知識への投資とは??≪ベンジャミン・フランクリンの名言≫


参考記事

ydet.hatenablog.com

ydet.hatenablog.com

川辺の散歩者

こちらは精神論が中心ですが、前々回の記事にも関連した内容です。

もし、他人に自分の価値観を押しつけようとしなければ気が済まない気質の持ち主と価値観が合わないことがあっても、感情的になって対抗しないほうが無難です。ちなみに僕はそうしています。

とはいえ、つい感情的になり、視野が狭くなってしまうことは誰しもときどきはありますよね。

もし、感情論に陥って視野が狭くなりそうになったら、その対象から距離を置いてみたり、深呼吸をしたりして客観的になるべきです。

つい、キレそうになったときは、冷静に事情を俯瞰して大らかな態度を心掛けたほうが無難です。

それでも、うっかりキレそうになったときは、穏やかな水辺の風景でもイメージして心を落ち着かせましょう。

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ところで、近頃の僕は、気分転換に川辺に寄ることがあります。

最近も、川辺で川の流れを凝視していましたが、穏やかな涼風が吹いていました。ちなみに日本海側で日本人拉致事件や整備された道路や美味しい魚介類の産地として知られているところです。

この地方は天候が不安定で、春先から初夏にかけて黄砂が飛来してくることもありますし、冬の積雪量がけっこう多く、風が強いのが特徴です。しかしそのときは、穏やかな涼風が吹いていました。

あと、帰り際、付近に群生しているススキの穂が風に揺れているのを見かけました。季節はもう秋ですね。

その日は、美しい景色とともにひっそりと穏やかな時間が流れていました。

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ちなみに、一連の記事の原文は岡ちゃんの『カルアミルク』のクラムボンのカバーや『サラウンド』を聴きながら書きました。

その日も、フリーキーで美しい音楽とともにひっそりと穏やかな時間が流れていました。

 

参考音楽

3 peace ~live at 百年蔵~

3 peace ~live at 百年蔵~

 

 

参考記事

ydet.hatenablog.com

ydet.hatenablog.com

移民のシビルライツ

今回は、前回の記事に関連した内容です。

前回、移民などの話をしましたがこちらでも移民の権利の話をしていきます。

 

移民のシビルライツ1

僕は、他国に定住している移民の場合、シビルライツ(市民権)や定住、社会参加を認めたほうが良いと考えています。

その際は、その国の憲法や先住民の個人としてのシビルライツを遵守できることを条件にしたほうが望ましいでしょう。

とはいえ、僕は日本が新興国に技術を提供したり、積極的に移民や外国人労働者を受け入れたりすることには反対です。こうした仕組みも前回の記事で説明しています。

 

なぜかというと、経済学の基本を理解している方なら分ると思いますけど、たとえば中国の農村部に住んでいる人たちが日本人と同水準の生活をするようになったら、世界経済のバランスや秩序が損なわれてしまうからです。

不思議な話 - 精神的遊牧民

 

僕は、リベラル寄りの価値観の持ち主ではあるけれど、極端な理想主義者やお花畑というわけではありません。

しかしながら、新興国や農村部の経済成長が抑制され、その人たちが不幸になることを望んでいるわけでもありません。また経済成長することは、必ずしも幸福度の高さに繋がるわけではないでしょう。

というのも、極端に合理化された社会で経済的に豊かになることはなくても、ゆとりのある社会では空気を読まなくても良かったり、精神的な余裕を持って暮らせたりするからです。

 

移民のシビルライツ2

ところで、移民大国である米国では相変わらずポピュリズムが台頭していて、2024年までは共和党ドナルド・トランプが大統領に就くことになるという世論も主流になっています。

とはいえ、これは日本のメデイアで報じられることはすくないことですけど、トランプ大統領や新たな移民の受け入れに肯定的ではない政策の支持者には、移民のマジョリティ層であるヒスパニック系の人たちが意外と多いという実態があるからです。これは移民の場合も、合理的な人間はパイの数は有限だということを理解しているからでしょう。

また、米国のポピュリズムを扇動することになり、米国の民主党の幹部やエスタブリッシュメントから蛇蝎の如く嫌悪されたフレーズ『ドレイン・ザ・スワンプ!(沼の泥水を吸い出せ)』に賛同している人には、移民などの人種的マイノリティや知識人も多かったそうです。

 

移民のシビルライツ3

それから、日本のように同調圧力が高く、均質性の高い社会では主流派と共通点のすくない人に対し、排他的になる傾向がありますよね。

しかし、冒頭のほうでも説明したように、他国に定住している移民の場合、先住民の個人としてのシビルライツを遵守できれば、シビルライツや定住、社会参加は尊重されるべきです。

そもそも、移民先の国の憲法や先住民の個人としてのシビルライツを遵守する移民には、寛大に対応するのが道理や人情ではないでしょうか。

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参考記事

ydet.hatenablog.com

ydet.hatenablog.com

不思議な話

今回は、近況を中心に綴っています。

気が向いた方は、参考にしてください。

長文ですが、テキストの転載やリンクにはパラフレーズ(敷衍)の原理を応用し、画像が複数あるのでパラグラフのバランスに気を配りながら構成しています。

 

近況

今年は、すこし年上の知人が死んだり、昔のことを思い出したりして、人生とは一度しかない自分自身のかけがえのないものだと再認識させられました。

とくに、最近はふとした拍子に、昔のことを鮮明に思い出すことが多いのだけれど、まるで心の中にあるノートのページが風に吹かれているかのように感じることがあります。

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ちなみに、充実した人生を過ごすには、日ごろから適度に情報のシャッフルと取捨選択をしておくことが必要です。

というのも、そうすることで風通しが良くなり、豊かでイカした人生を歩みやすくなるからです。

 

奇妙な人間

ところで、冒頭で紹介した亡くなった知人とは、しばらく音信不通になっていました。

ちなみに、彼の場合、穏やかとは言えない生き方をしていて、論理や理屈が通じ難く、他人に自分の価値観を押しつけようとしなければ気が済まないところがありました。

とはいえ、僕にはけっこう優しくてたくさんのことを勉強させていただきましたが、しばらく音信不通になっていたので共通の知人たちから訃報があったのも、亡くなってすこし経ってからでした。

また、彼の場合、晩年は複数の病気を抱え無職で、亡くなる数ヶ月前から周囲との交流をほとんど絶っていましたが、こうしたことは、本人が決めることなので非難つもりはありません。

ちなみに、僕はこの人にせがまれて自宅まで食べ物を運ぶことがありました。といっても、スーパーの惣菜や健康食品などを買い与えていた程度でしたが。

僕が、ときどき援助の手を差し伸べて飲み食いさせていたことには、彼には周囲の磁場を変化させ、通常なら不可能な要求を通すという不思議な能力があったことが関係しています。

そもそも、この人と知り合ったときも、あるところで知人の女の子と話をしている最中、唐突に割り込んできたことがきっかけでした。

もともと、こちらから近づいたのではなく、不意に向こうから寄ってきたわけです。もちろん呼び寄せるようなこともしていませんでしたが、その割になぜか込み入った話ができたことが印象に残っています。

こういうことには、本人の性格ががさつな半面、洞察力や直観が鋭く、このように相反する気質が混在していることで、話しをしていると変な気分になったことも関係していたと思います。あと彼の周りでは、ときどき変な事件が起きていました。

世の中には少数ですけど、こういう人がいますよね。

 

マイノリティの権利

あと、この人の場合、アーティストを自称していて外国のサブカルチャーに詳しく、自宅で外国映画の上映会を開いていましたが、僕もたまに参加していて、エンジョイさせていただきました。

とはいえ、彼の他の人に自分の価値観を押しつけようとしなければ気が済まない気質には、オーバーだと思わされることもありました。また彼は仲間の前で、マイノリティ(とくに不法移民)の市民権を非難するときにこうした態度を取っていました。

しかし、その多くは勝手な推測や表面的な一部の情報に立脚していました。保守の思想を否定する気はありませんが、先述したことにはネット右翼陰謀論者の傾向があったことが関係していたと思います。

ところで、僕は他国に定住している移民の場合、先住民の個人としての尊い権利をおびやかさない限り、市民権や定住、社会参加を認めたほうが良いと考えています。

ただし、これから日本が新興国に技術を提供したり、積極的に移民や外国人労働者を受け入れたりすることには反対です。

なぜかというと、経済学の基本を理解している方なら分ると思いますけど、たとえば中国の農村部に住んでいる人たちが日本人と同水準の生活をするようになったら、世界経済のバランスや秩序が損なわれてしまうからです。

 

芸術の精神

さて、話を戻します。

この人の場合、その時々の実感で生きていて、論拠が乏しいのに他の人を非難することがありました。

しかし、彼の仲間の前で威勢よく啖呵を切っておきながら、肝心なことや詳しい事情に言及することは避け、逃げ道を確保しておくという論法は芸術とは似て非なるものどころか、本質において対極に位置づけられていると直観させられました。

こちらで説明した気質や論法には、僕も一時的に嫌な思いをさせられたことがあります。とはいえその論理構造が、偏見や部分的過ぎる情報であることを指摘されると、旗幟を鮮明にすることができず、ブラック企業の上司のように小難しい表情で腕を組みながら黙り込んでいたことが印象に残っています。

こうした気質を持った人と理性的な人間との間には、川が横たわっているとも思いました。

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不思議な話

とはいえ、いまではこちらで紹介した人の問題もある程度愛嬌として解釈することができますし、楽しい時間をすごさせていただいたことには感謝しています。

ちなみに、映画の上映会のほうは、ホームパーティに近くて懐かしい半面、徐々に現在からも遠ざかり、細部の輪郭が不鮮明になっていくことですこし物悲しい気分にもなります。

あと、その人の場合、晩年は人生を嘆くようなことを多く言っていたそうです。理由としては先に挙げた気質以外にも、自己評価が高くてせっかちだったことが関係していたのだと思います。

というのも、彼は速い知性がけっこう発達していてユーモアのセンスがありましたが、困難や迷いがあるとすぐに感情的になって短絡的な言動を取るという短所があったからです。

ちなみに、先述した速い知性という概念は、下記の記事で紹介したことがあります。

 

現下の日本社会では、頭が良い人というと“速い知性”の持ち主であることを意味する傾向があります。速い知性とはどういうことかというと、瞬時に計算をしたり、効率良く事務作業をしたりする能力のことです。

さまざまな知性 - 精神的遊牧民

 

ところで、僕はその人が亡くなった時期に、偶然彼のことを考えることがありました。

すこし奇妙で不可解な話になりますけど、なぜかそのときはその人が狭くて薄暗い部屋に横たわっているビジョンが浮かんできて、僕の名前も読んでいました。もちろんこういうことは、滅多にないんですけどね。

ちなみに、普段の僕は感情に流されたり、声を荒げたりすることはほとんどありません。また自己評価が高くないので、プレゼンスを示す気はないのですが、彼は僕のことを『あの人は怖い...』などと漏らしていたことを共通の知人から聞かされたことも思い出しました。

あと、その人とは価値観が合わないこともありましたが、こうしたときに垣間見られるこちらで説明した気質によって、彼はそう遠くない未来に彼方へ旅立つことになると直観していましたが、そのときがきたということなのでしょう。

ときどきですが、その不思議な人のことを思い出すことがあります。

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高信頼社会の自殺問題

最近、気づいたことがあります。

自殺問題が極端に多いところの場合、本来は高信頼社会とされていても部分的に低信頼社会の論理が高くなっていることが要因になっていると思いました。ハラスメントや人口減少問題の場合も同様です。

社会やコミュニティについて考えるときも、その論理が高信頼型か低信頼型かという判断はとても重要です。

ところで、カルトのように閉鎖的なコミュニティでは、個人や少数派の問題意識であっても、コミュニティ全体の問題意識にしやすくなっているそうです。またこうした仕組みは、個人的なミスをカバーするために特定の人を問題視するときにも利用されやすくなると思います。

しかし、個人や少数派の問題意識をコミュニティ全体の問題意識にすることができた場合に、コミュニティ全体のステータスが高くなるのか、と考えると必ずしもそうなるわけではありません。

というのも、こうした場合、論理構造や論理連関に気を配らず情緒に立脚していると、逆にコミュニティ全体のステータスを下げたり、問題が生じたりすることがあるからです。

なぜ、こうしたことが起るのかというと、活動に熱心になるあまりつい遵法意識が希薄になってしまうからだと思います。こう考えると、すこし前に創価学会にできた各地の法令を遵守することが含まれた憲法は戦略的にも正しいと思います。

というのも、宗教や思想に関係なく、大規模な団体になると問題を起こす人はどうしても少数いますが、最高法規として各地の法令を遵守するようになると、他の人を問題視することで生じる問題が起き難くなるからです。

このように、基本的なことに忠実であることは、画期的なことをするよりも重要で、世界的な思想であるためにも必要なことです。

ちなみに、僕が自発的にしばらくお付き合いさせていただいたことのあるコミュニティは、きちんとしたところばかりでしたが。

 

参考記事

ydet.hatenablog.com

ydet.hatenablog.com