精神的遊牧民

精神的に遊牧民化している人間の個人ブログ。柔軟で型破りな言論が特徴です。

不眠症のひと向けのソフト

どうしても睡眠時間が不規則になり易い不眠症のひとに朗報です。

ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、不眠症で、PCを利用している時間が長い場合、症状の改善に有効なソフトがあります。f.luxというPCソフト(Win/Mac対応)です。

これは、基本的にブルーライトをカットするものですが、日の出と日没時間に合わせて画面のブルーライトを自動で調光させることが可能です。

f.luxは、日光が当たらず時計を見ないと時間感覚がおかしくなり易い屋内でも、向き合っているデバイスの画面を日中は明るく、夜は暗めにすることによって不眠症の改善に繋げる効果があります。

バイスの明かりが、野外にいる時のように擬似的日光の役割を果たし、更に視力の低下を防げますから一石二鳥です。


参考ソフト
dekiru.net

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ydet.hatenablog.com

芸術的、精神的自由への接近

世の中には、自分の思い通りにならないひとを変えようと暴走し、相手側の迷惑になったり、人間関係を破壊する可能性があるにもかかわらず、あることないこと空気を入れたり、ときには迷惑電話(1コールで切るなど)までする強引で乱暴なひともいらっしゃいます。

なぜ、この話をしているのかというと、以前、ある知人が価値観の異なる相手から信用問題にも関係する被害に遭い、トラウマになっていたことが関係しています。

はじめは、誰がやっているのか分からなかったそうですけど、知人のなかにも同様の被害を訴えるひとが出たり、全体の流れを読むことで不審者の正体が分かったそうです。

その相手は、とにかくやることなすこと規格外で常軌を逸していましたので、被害に遭っていたひとは『なんでやねん...』といった意味の声をあげ、憔悴していたそうです。
 
件の加害者については、一般常識で考えれば明らかに違和感を感じさせられる固執と異常興奮と同じ単語やフレーズを繰り返すという奇妙な習性があり、頻繁に他のひとが不快に感じる単語やフレーズをしつこく繰り返すことでレッテル貼りを行っていたそうです。

件の加害者は、細かい言動を加味して分析すると、一方的に他のひとの基本的な権利を侵害していても不可解な被害者意識があり、むしろ自分のほうが不当なことの被害者で、巨悪に立ち向かう英雄のように考えている節があったそうです。

しかし、洋の東西を問わず、そのひとたちの迷惑行為の被害者や事情を知るひとたちは学習していると思います。そして精神疾患や自殺問題の要因となっている可能性があるかれらには注意していることでしょう。かれらが巨悪に立ち向かう英雄だからではなく、そういう傾向のある人間だという意味によって。


ちなみに、件の被害者は先述した迷惑行為の被害を他にも何回か経験したそうです。しかし、遠回しでも継続的な場合は、何が起きているのかを正確に把握する為、関係している意見や視点が複数あるならどれが適切なのかを分析し、そういうことが起きることでどこにインセンティブが発生するのか、細かい情報に注意し、全体の流れを読めば必要なことが分かってきます。

特に、現代の場合は、継続的に普通ではない価値観やひとによって迷惑行為が繰り返された場合、あっという間に噂になります。

事実、件の被害者は、これも何回か経験したそうですけど、心配してくれた共通の知人たちから加害者について助言をされたそうです。

そのときにも、件の加害者のようなタイプの人間は、集団で行動していると分かり難いけれど、普通のひととは怒りの沸点が異なることや同じ単語やフレーズを繰り返す習性があることも助言されたそうですけど、その話を聞いて回想させられた被害者は、たしかに加害者に該当していたので『あっ! ほんまや!』といった意味の驚きの声をあげ、勉強したそうです。

それから、かれらの場合、都合の良くない状態のときに眉間にシワを寄せてわざとらしく考え込むような表情をしたら要注意とのことです。多少、ヒョウキンな印象がするかもしれませんが、気を付けたほうが良いとのことです。

特に、先方の過失で、きちんとした誠意を見せねばならない状況であれば尚更だそうです。本来であれば真摯に対応しなければいけないときに、法外な態度を取る可能性のあるサインになっていることがあるので注意しておいたほうが無難とのことです。

これは私見です。そのひとたちの場合、他のひとが常に自分と同一の共通善を共有しているわけではない、というコミュニケーションの前提を見落としていたり、守秘義務のあることやサード・パーティ・ルールを守らないことで複雑な問題をさらに複雑にして騒ぎを起こす傾向があると思います。

こちらに提示した習性については、ときどきであれば一般人にもあります。しかし、ほとんどのことが頻繁に該当していて、自分とは直接関係ない相手の周囲のひとに執拗に圧力を掛けていると感じさせられたり、一方的に窮地に追い込んだひとをさらに追撃しようとしたら、とにかく気を付けたほうが良いとのことです。

以前は、古典文学や御伽話や神話や昔話が普及していたことで、ひとによっては、問題になりえる可能性のある対象の思惑も追体験することができました。

現代は、現実社会での物語の力は衰えましたが、良い物語には、芸術的、精神的自由を希求する言葉が寄せられ、書き手と語り手と読み手に同様に共通する問題を回避や解決や緩和へ導き、損なわれたものを再生させたり、取りもどす力が秘められています。


もし、今回の話を聞いたことによって、問題の回避や解決や緩和ができたと感じた場合、可能なら信用できる他のひとに話して聞かせてください。こちらのテキストを紹介する方法でもかまいません。

特に、単身で人生経験の浅い、未成年~20代くらいのADHD精神疾患やハンデのあるひとは『ほんまかいな?』くらいにしか思わないひともいらっしゃるかもしれません。

しかし、世の中、善人ばかりなら本当に良いのですが、なかには自分たちで作った死体の山の上で笑い転げながら掌を打ち鳴らすことを生き甲斐にしているような悪意や獣性の持ち主も少数居ます。

実際、学び難かったことで、不都合が生じ易いことというものはたしかに存在しますし、世の中には悪意や獣性の持ち主もいるんです。ですから特に先述したハンデのあるひとの場合はこちらの話を心の片隅に留めておかれることを推奨します。

ちなみに、件の被害者についてですが、加害者に報復することはなかったそうです。醜悪な行為へ対して、芸術的、精神的であろうとする人間にふさわしいアプローチとは、正真正銘の美意識で傷口と世界を覆っていくことだと気付いたそうです。

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思想的価値観

以前の僕は、友人たちとキリスト教の教会に行っていたこともあり、思想的にはどちらかといえばリベラル寄りです。しかし未成年の頃から神社仏閣は、身近な存在でしたのでときどき参拝することがあります。近年の大規模な神社には、隣国からの旅行者やさまざまな宗教の信徒たちが観光や参拝にたくさん訪れています。

こういうことを言うと、疑問を感じるひともいらっしゃるかもしれませんが、キリスト教関係者の中には教派を問わず、宗教心以外の理由から神社を参拝するひとがいます。そういう場合は、宗教心からではなく、日本文化の一部とも考えられる場所への敬意や親和性によるものですが、こちらに国家神道を普及させる意図はありません。


ところが、昨今は、神社の境内を破壊するなどひとによっては信仰などにも関係している場所に、暗闇に乗じて忍び寄り、標的やそちらを敬うひとたちの尊厳を、一方的に損なおうとする暴挙が見受けられました。

とはいえ、こちらで指摘した鬼や獣のような所業に及んだ不審者が、マイノリティであったとしても、それはその全体からすれば一部にすぎません。多数の中に少数存在する恥の意識の高い迷惑な人物が仕出かしたことです。

したがって、こちらで指摘したような不審者の場合、一般常識やコンプライアンスを理解している同じ種族のひとや天国のノートに名前のあるひとたちから疎まれていることでしょう。

実際、東アジア諸国からの旅行者やさまざまな宗教の信徒たちが、日本の観光名所を訪れる場合、そのほとんどは日本文化の一部とも考えられる場所への敬意や親和性からです。

というのは、神社に観光や参拝で訪れるマイノリティのひとたちのほとんどは、フレンドリーで親切だからです。

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ついでにこれは経験的な教訓ですけど、猫と教会と神社が好きなひとに不寛容で悪いひとはいません。といっても、この三つとも好きなひとは沢山は居ないかもしれませんけどね。

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日本では、宗教というと統計上の信者数の多い幸福の科学日蓮系の新興宗教などをイメージするひとが多いと思います。しかし僕は、幸福の科学日蓮系の新興宗教の信徒や消防団や防犯団体などのメンバーになったことはありません。

それから、昔、自称アウトローの知人はいましたが、僕自身は暴力団やカルトやテロ組織や反社会的勢力のメンバーにもなったことはありません。とはいえ、そのひとたちにも事情があるでしょうから特に頭ごなしに非難する気はありませんが。

以前、新興宗教に勧誘されたことはありましたが、最後に勧誘されたのは数年前のことです。新興宗教や防犯団体や消防団のメンバー数は多いので、いままでに懇意にさせていただいたひとにはメンバーがけっこういましたが、確固とした信仰心や信念を持っていて押し付けがましくないひとには敬意を払っています。


しかし、僕が先記のコミュニティにもし加入するときは、こちらも含めて思想的価値観に言及しているところでは、自分の立場を示さなければフェアではありませんので公表します。

それから、これは一般的にもある程度知られていることです。先記のコミュニティの中には外国人やジャーナリストと会ったり、他の都道府県に行ったりするとき、また他のメンバーの細かい素行について報告義務のあるところも多いです。

しかし、僕は政治や宗教や歴史認識といった思想について言及する際も、言動に制約が生じる立場になったことはありません。また意向や人権が制限される可能性があることについて事前に要望や誓約を求められたり、義務付けられたりしたこともありませんし、信用情報に影響を与える保証人などになったこともありません。


こちらで説明していることは、他のひとたちにも話していることで、その概容は以前から一貫しています。ちなみにある主張への客観性や信憑性や正当性を分析する場合は、その相手が書いた文章を読めば程度が分かるでしょう。

いままでに関わったことのあるコミュニティも、どちらかと言えばリベラル寄りの一般層の多いコミュニティが多かったのですが、リベラル寄りのひとたちはやさしいひとが多いので人間関係の問題は少なかったです。

それから、僕の思想的価値観が、リベラル寄りといってもそんなに極端ではありません。視野を広める為にリベラル寄りの購読物を複数取っていた時期がありましたが、実際の思想的活動は一般層が中心に参加している脱原発平和運動のデモに数回、参加したことがある程度です。

しかも、その時期も鶴見済さんのデモに行くときに缶ビールを飲むことがあるという発言を参考にし、そのときの気分で発泡酒を片手に歩くこともあるくらい自分の気分を大切にする人間です。それから僕は、基本的に護憲派ですから自衛隊が他国に侵攻することには賛同しませんし、好戦的なタイプや軍事オタクではありません。

しかし、自衛隊の存在や国防思想は否定していませんし、明確な先制攻撃を仕掛けられて国民の生命が脅かされる有事のときは、中東の小国イスラエルの『周辺から同情されて滅びるよりも応戦して生き延びる道を選ぶ』といった価値観を参考にして対応するべきだと考えています。


参考サイト
www.a-inquiry.com

芸術と教養

数ある職業の中でも、人類最古の職業やそれに準じる職業というものは、社会のプリミティブな需要を満たしているという意味で尊いですが、芸術家とその作品は文化を支えたり、精神的支柱になっていたりするという意味で尊いと僕は考えています。

建築家は設計図を与え、大工は建物を与え、農民は農作物を与え、漁師は魚を与え、宗教家は救いや希望を与えます。芸術家やその素質があるひとの場合は、作品や物語を通して重要なことを示したり、シグナルを送ったりすることがあります。

先述したひとたちの場合は、芸術作品やさまざまな物語を眺めていると重要な情報や生き抜く為に必要な情報が、自然に浮かび上がってくるそうです。また未来に生起する可能性のあることを追体験し、回避や解決や緩和に繋げることもあるそうです。

といっても、僕は極東の島国で世界の波風が穏やかであることを願っている一般人ですが、価値ある情報を読み解くにもある程度の教養が必要です。

教養とは、知識や学問を学ぶことで得られる物事への理解力を意味していますが、さまざまなひとや社会と関わることで習得できる、細部を比較して精度の高い答えを引き寄せたり、展開を予測して問題を回避や解決や緩和させたりする能力のことも意味しています。


教養を深めるということは、知性や世界観にはさまざまな尺度があることを学ぶことも意味します。このときに視野狭窄や思考停止を起こさないように他の考え方との差異を学ぶことや、分かり易くて巨大な思想に安易に絡め取られたり、吸い込まれて自分を見失ったりしないように注意することも重要です。

柔軟ではない思考は、物事が重層的に構成・機能しているということを見落とす瑕疵がありますし、世の中には黒か白かではジャッジできないことも多々あります。現実はそんなに単純じゃないし、中間には灰色も存在するからです。

さらに言えば、灰色の中には黒に近い灰色や白に近い灰色も存在しますし、宗教や思想に関することのようにひとによって映る色が極端に異なることもあるでしょう。

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シュリンクラップ契約の教訓

高信頼社会や先進国のコミュニティやシステムを維持する際、ユーザーや運営者側に適応されるルールは、読み易く具体的に明示し、理解を求めることが不可欠です。

ルールのなかに、ユーザーの言動に関わる内容が含まれている場合は尚更です。そうした場合も、前提として、読み易く具体的に明示し、履行可能な内容で、コンセンサスの成立が必要です

一般常識で考えた場合も、上記条件に該当していない内容であれば、大義に基づいたものであっても蓋然性が疑われて無効になる可能性があります。

IT業界では、ソフトウェア利用許諾契約について、ユーザーがソフトの包装を開封することで契約が成立したことにするという手法があります。シュリンクラップ契約と呼ばれているものです。

しかし、規約内容が書かれた契約書を確認していなくても、規約内容に同意したことにするという強引な仕組みには、米国を中心にユーザーや商法を専門に扱う法曹家たちからその正当性と有効性を疑う声があがりました。

また、シュリンクラップ契約には、ソフトの購入歴があり、以前の規約内容をある程度読んでいた可能性のあるひとが、ソフトを再購入しても規約内容が更新された場合、その確認ができない状態で同意させられることになるという問題もありました。


そのように、読み難く具体的に明示されていないことや履行が困難なことやコンセンサスに関することで問題が起きた場合、そのことを指摘する声があがれば、さらに二次的三次的な問題が発生したり、後に騒ぎになったりすることで、ソフトを提供する企業側は相応の責任を問われる可能性があります。

そうした仕組みを、他のサービスを提供する側とユーザーの関係に応用して分析しても分かりますが、読み難く具体的に明示されていないことまでルールとするようでは、その正当性と有効性を疑う声があがっても仕方のないことです。

こちらの画像は、通行人であふれかえる札幌の狸小路を自転車で疾走する東アジア系の外国人と見られた女性。この場合は明らかに彼女のほうに問題があります。

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日本は、相手が血縁のあるひとや友人や恋人以外でも騙し合うことの少ない高信頼国ですが、論理よりも、情緒や空気が優先される傾向がありました。

そして、論理学や弁証法が普及し、何をするにも公正な内容の契約書を交わす習慣のある諸外国とは、ルールに対する考え方が異なりました。

しかし、国際社会の視点から見て時代錯誤であったり、公正ではない不寛容なルールを基調にする場合は、自浄作用の機能する公正な社会であるとは言えないでしょう。

ちなみに、シュリンクラップ契約はDL販売が主流になっていったり、有効性を疑う声があがったことなどで減少していきました。