精神的遊牧民

北海道の海辺に輝く朝焼けのように清らかなブログ

自己愛性パーソナリティ障害

ネット上を中心に、話題になっている自己愛性パーソナリティ障害について興味がありますので紹介してみます。

自己愛性パーソナリティ障害とは、SNSの普及に伴い増えていると言われている自己愛の強いパーソナリティ障害です。

私事ですが、過去にこのパーソナリティ障害の重症と考えられるひとと何度か火花を散らしながら睨み合う機会がありました。その為、彼らの習性や症状については比較的詳しいほうです。

一般論としても、自己愛の強すぎる人間と深く関わったり、刺激することはリスクのあることです。自己愛性パーソナリティ障害の場合、無意識での自己評価が低いのが特徴ですが、その反動からか普段は自分が特別な存在であるという考えや思い込みに支配されています。

彼らの場合、そうした自己像を指摘する声には耳をかたむけず、突然、ドアが閉じるかのように遮断します。また現実と向き合う機会に、怒り声をあげて逆ギレすることがあります。

このパーソナリティ障害の特徴を、分析したサイトをリンクしておきますので、興味のあるひとはチェックしてみてください。


参考サイト
mora110.blog.fc2.com
www.nurse-worker.info

意外でしたが、僕も、チェックしてみたら少しその傾向がありましたので気を付けねば...。しかし、全体的にパーソナリティ障害の重症の場合、自己認識したり客観視する姿勢は取りませんし、傾向がある場合はときどき注意することで問題を回避や緩和させられるでしょう。

このパーソナリティ障害の重症の場合は、自己像を守る為に事実を捻じ曲げることがあります。また、自己像が否定されていると感じ、相手が恐るべき人間でなかった場合は、突然、怒り声や叫び声で話を遮ったり、他人の家のリビングに土足で押し入るような狼藉をはたらく場合があります。


彼らの場合、無意識にある自己像を指摘する意見があると恫喝したり、偏向した情報を以って協力者に仕立てたひとと共謀したりして問題のある行動をとることもあります。

こういう場合は、余計な問題に巻き込まれないように注意してください。その為には、自己愛性パーソナリティ障害者が問題視する相手のひとが本当に問題のあるひとなのか、それとも自己愛性パーソナリティ障害者の感情論によるところが大きいのか、分析してみてください。


特にボギャブラリーが豊富だったり、感受性に恵まれているマインドコントロールし難い相手を警戒している場合は要注意です。

事実、そうした場合、その相手について精神疾患で通院していたこと、借金があったこと、戸籍や素性に関することなどを話しているのを見聞きしたことがあります。

また、自己愛性パーソナリティ障害が重症の場合は、個人を陥れる為に法外な方法で落とし穴を掘る場合もあります。しかし、特に重症な場合は、個人を陥れる為に一方的に法外な方法を取っていても墓穴を掘っている可能性があります。

聞くところによると、自作自演をして事件を捏造することもあるそうです。しかし、そういうことがあると、どこにインセンティブが発生するのか、ということに注意しながら全体の流れを分析すると犯人の気質や素性が分かります。

それから、このパーソナリティ障害の重症の場合は、酒癖が良くありません。理由は、自己評価が低いという制圧されたいびつな面が表に出易くなると、他のひとに絡むなど多少問題のある形態で外部に現れ易くなるからです。境界例パーソナリティ障害にもこのパターンは多いように見受けられます。

これは、私事です。基本的に僕は悪口や悪評に興味はありません。現実に悪口や悪評はたいてい僕のところでストップします。その為、『噂のシュレッダー』などと言われたことがありましたね。

それから、この数年間の僕の飲酒頻度は2~3日に1回、少量を気分転換に飲むくらいですけど、飲みに行っても絡んだり暴れることはなく、どちらかというと自分の世界に入り込んでうっとりするタイプです。

村社会と集合知

最近、知人たちから空気を読まなくてはいけないことによる生き難さは、郊外や農村部に多いという意見を聞きました。

人間関係が濃厚な社会では、出身地や文化的背景や血縁の異なるひとの間で、多少の誤解が生じることはあります。

日本では、住んでいる場所を自分が参加するべき共同体と考えているひとが多い時代もありましたが、現代は都市部に人口が集中し、住んでいる場所は基本的に寝起きしたり、生活する為の場所だという考え方が一般的になりました。

世代によって、その割合は多少異なりますが、一般常識で考えれば他のひとの基本的な権利を侵害しない限り、どのような価値観で生きようとそのひとの自由です。

そもそも、高信頼社会では基本的なこととされていますが、在住している地域を自分が参加すべきコミュニティと考えるか、寝起きや日常生活をする私的な場所だと考えるかはひとによって異なりますが、個々人が自分で決めるべきことです。


村社会の場合は、個人や少数派が合理的であっても村のなかで主流ではない先駆的な意見を主張すれば『内』ではなく『外』のひととして考えられる場合があります。

もちろん、村社会には空気に選択をゆだねていれば、積極的な村民同士の距離が近づき、不足点を補い合い易くなるなど良い面もあります。農村部を中心に昭和の終わりごろまでご近所さんと醤油や味噌を貸し借りする習慣のあるところもあったと聞いたことがあります。

しかし、村社会では、実は個人や少数派の価値観であっても村全体の方針ということにできれば、矛盾や問題が生じても『内』の意見にしてしまうことがありました。

要は、個人や少数派の意見を村全体の意見として主張した場合です。その場合、能力が特別高くなくても、好奇心旺盛で熱意があり、自分を過大評価し易いひとが村の空気を利用する傾向があります。

ある程度の年齢になれば、そういったグループの論理や状況も理解し易いと思います。しかし、論理連関や論理構造よりも情緒を優先させることで、村側に問題が生じる場合があります。

情緒を優先させようとすることで、複雑な事情が生じ、システムの歯車がずれて噛み合わなくなったり、磁場が乱れたりすれば尚更です。


そもそも、個人や少数派が合理的な意見を主張してもそれが認められない場合、また個人や少数派の意見を村全体の意見として主張した場合、村全体の知性が高くなっているのか、と分析するとそうではありません。

集合知や全体の知性という概念について、おもしろい本がありますので紹介しておきます。ドワンゴ川上量生さんが岩波書店から出版した『鈴木さんにも分かるネットの未来』です。

ネット社会やネット世論のことも、明快に解説されていますので興味のあるひとは参考にしてみてください。


参考書籍
www.amazon.co.jp


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不眠症のひと向けのソフト

どうしても睡眠時間が不規則になり易い不眠症のひとに朗報です。

ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、不眠症で、PCを利用している時間が長い場合、症状の改善に有効なソフトがあります。f.luxというPCソフト(Win/Mac対応)です。

これは、基本的にブルーライトをカットするものですが、日の出と日没時間に合わせて画面のブルーライトを自動で調光させることが可能です。

f.luxは、日光が当たらず時計を見ないと時間感覚がおかしくなり易い屋内でも、向き合っているデバイスの画面を日中は明るく、夜は暗めにすることによって不眠症の改善に繋げる効果があります。

バイスの明かりが、野外にいる時のように擬似的日光の役割を果たし、更に視力の低下を防げますから一石二鳥です。


参考ソフト
dekiru.net

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芸術的、精神的自由への接近

世の中には、自分の思い通りにならないひとを変えようと暴走し、相手側の迷惑になったり、人間関係を破壊する可能性があるにもかかわらず、あることないこと空気を入れたり、ときには迷惑電話(1コールで切るなど)までする強引で乱暴なひともいらっしゃいます。

なぜ、この話をしているのかというと、以前、ある知人が価値観の異なる相手から信用問題にも関係する被害に遭い、トラウマになっていたことが関係しています。

はじめは、誰がやっているのか分からなかったそうですけど、知人のなかにも同様の被害を訴えるひとが出たり、全体の流れを読むことで不審者の正体が分かったそうです。

その相手は、とにかくやることなすこと規格外で常軌を逸していましたので、被害に遭っていたひとは『なんでやねん...』といった意味の声をあげ、憔悴していたそうです。
 
件の加害者については、一般常識で考えれば明らかに違和感を感じさせられる固執と異常興奮と同じ単語やフレーズを繰り返すという奇妙な習性があり、頻繁に他のひとが不快に感じる単語やフレーズをしつこく繰り返すことでレッテル貼りを行っていたそうです。

件の加害者は、細かい言動を加味して分析すると、一方的に他のひとの基本的な権利を侵害していても不可解な被害者意識があり、むしろ自分のほうが不当なことの被害者で、巨悪に立ち向かう英雄のように考えている節があったそうです。

しかし、洋の東西を問わず、そのひとたちの迷惑行為の被害者や事情を知るひとたちは学習していると思います。そして精神疾患や自殺問題の要因となっている可能性があるかれらには注意していることでしょう。かれらが巨悪に立ち向かう英雄だからではなく、そういう傾向のある人間だという意味によって。


ちなみに、件の被害者は先述した迷惑行為の被害を他にも何回か経験したそうです。しかし、遠回しでも継続的な場合は、何が起きているのかを正確に把握する為、関係している意見や視点が複数あるならどれが適切なのかを分析し、そういうことが起きることでどこにインセンティブが発生するのか、細かい情報に注意し、全体の流れを読めば必要なことが分かってきます。

特に、現代の場合は、継続的に普通ではない価値観やひとによって迷惑行為が繰り返された場合、あっという間に噂になります。

事実、件の被害者は、これも何回か経験したそうですけど、心配してくれた共通の知人たちから加害者について助言をされたそうです。

そのときにも、件の加害者のようなタイプの人間は、集団で行動していると分かり難いけれど、普通のひととは怒りの沸点が異なることや同じ単語やフレーズを繰り返す習性があることも助言されたそうですけど、その話を聞いて回想させられた被害者は、たしかに加害者に該当していたので『あっ! ほんまや!』といった意味の驚きの声をあげ、勉強したそうです。

それから、かれらの場合、都合の良くない状態のときに眉間にシワを寄せてわざとらしく考え込むような表情をしたら要注意とのことです。多少、ヒョウキンな印象がするかもしれませんが、気を付けたほうが良いとのことです。

特に、先方の過失で、きちんとした誠意を見せねばならない状況であれば尚更だそうです。本来であれば真摯に対応しなければいけないときに、法外な態度を取る可能性のあるサインになっていることがあるので注意しておいたほうが無難とのことです。

これは私見です。そのひとたちの場合、他のひとが常に自分と同一の共通善を共有しているわけではない、というコミュニケーションの前提を見落としていたり、守秘義務のあることやサード・パーティ・ルールを守らないことで複雑な問題をさらに複雑にして騒ぎを起こす傾向があると思います。

こちらに提示した習性については、ときどきであれば一般人にもあります。しかし、ほとんどのことが頻繁に該当していて、自分とは直接関係ない相手の周囲のひとに執拗に圧力を掛けていると感じさせられたり、一方的に窮地に追い込んだひとをさらに追撃しようとしたら、とにかく気を付けたほうが良いとのことです。

以前は、古典文学や御伽話や神話や昔話が普及していたことで、ひとによっては、問題になりえる可能性のある対象の思惑も追体験することができました。

現代は、現実社会での物語の力は衰えましたが、良い物語には、芸術的、精神的自由を希求する言葉が寄せられ、書き手と語り手と読み手に同様に共通する問題を回避や解決や緩和へ導き、損なわれたものを再生させたり、取りもどす力が秘められています。


もし、今回の話を聞いたことによって、問題の回避や解決や緩和ができたと感じた場合、可能なら信用できる他のひとに話して聞かせてください。こちらのテキストを紹介する方法でもかまいません。

特に、単身で人生経験の浅い、未成年~20代くらいのADHD精神疾患やハンデのあるひとは『ほんまかいな?』くらいにしか思わないひともいらっしゃるかもしれません。

しかし、世の中、善人ばかりなら本当に良いのですが、なかには自分たちで作った死体の山の上で笑い転げながら掌を打ち鳴らすことを生き甲斐にしているような悪意や獣性の持ち主も少数居ます。

実際、学び難かったことで、不都合が生じ易いことというものはたしかに存在しますし、世の中には悪意や獣性の持ち主もいるんです。ですから特に先述したハンデのあるひとの場合はこちらの話を心の片隅に留めておかれることを推奨します。

ちなみに、件の被害者についてですが、加害者に報復することはなかったそうです。醜悪な行為へ対して、芸術的、精神的であろうとする人間にふさわしいアプローチとは、正真正銘の美意識で傷口と世界を覆っていくことだと気付いたそうです。

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思想的価値観

以前の僕は、友人たちとキリスト教の教会に行っていたこともあり、思想的にはどちらかといえばリベラル寄りです。しかし未成年の頃から神社仏閣は、身近な存在でしたのでときどき参拝することがあります。近年の大規模な神社には、隣国からの旅行者やさまざまな宗教の信徒たちが観光や参拝にたくさん訪れています。

こういうことを言うと、疑問を感じるひともいらっしゃるかもしれませんが、キリスト教関係者の中には教派を問わず、宗教心以外の理由から神社を参拝するひとがいます。そういう場合は、宗教心からではなく、日本文化の一部とも考えられる場所への敬意や親和性によるものですが、こちらに国家神道を普及させる意図はありません。


ところが、昨今は、神社の境内を破壊するなどひとによっては信仰などにも関係している場所に、暗闇に乗じて忍び寄り、標的やそちらを敬うひとたちの尊厳を、一方的に損なおうとする暴挙が見受けられました。

とはいえ、こちらで指摘した鬼や獣のような所業に及んだ不審者が、マイノリティであったとしても、それはその全体からすれば一部にすぎません。多数の中に少数存在する恥の意識の高い迷惑な人物が仕出かしたことです。

したがって、こちらで指摘したような不審者の場合、一般常識やコンプライアンスを理解している同じ種族のひとや天国のノートに名前のあるひとたちから疎まれていることでしょう。

実際、東アジア諸国からの旅行者やさまざまな宗教の信徒たちが、日本の観光名所を訪れる場合、そのほとんどは日本文化の一部とも考えられる場所への敬意や親和性からです。

というのは、神社に観光や参拝で訪れるマイノリティのひとたちのほとんどは、フレンドリーで親切だからです。

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ついでにこれは経験的な教訓ですけど、猫と教会と神社が好きなひとに不寛容で悪いひとはいません。といっても、この三つとも好きなひとは沢山は居ないかもしれませんけどね。

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日本では、宗教というと統計上の信者数の多い幸福の科学日蓮系の新興宗教などをイメージするひとが多いと思います。しかし僕は、幸福の科学日蓮系の新興宗教の信徒や消防団や防犯団体などのメンバーになったことはありません。

それから、昔、自称アウトローの知人はいましたが、僕自身は暴力団やカルトやテロ組織や反社会的勢力のメンバーにもなったことはありません。とはいえ、そのひとたちにも事情があるでしょうから特に頭ごなしに非難する気はありませんが。

以前、新興宗教に勧誘されたことはありましたが、最後に勧誘されたのは数年前のことです。新興宗教や防犯団体や消防団のメンバー数は多いので、いままでに懇意にさせていただいたひとにはメンバーがけっこういましたが、確固とした信仰心や信念を持っていて押し付けがましくないひとには敬意を払っています。


しかし、僕が先記のコミュニティにもし加入するときは、こちらも含めて思想的価値観に言及しているところでは、自分の立場を示さなければフェアではありませんので公表します。

それから、これは一般的にもある程度知られていることです。先記のコミュニティの中には外国人やジャーナリストと会ったり、他の都道府県に行ったりするとき、また他のメンバーの細かい素行について報告義務のあるところも多いです。

しかし、僕は政治や宗教や歴史認識といった思想について言及する際も、言動に制約が生じる立場になったことはありません。また意向や人権が制限される可能性があることについて事前に要望や誓約を求められたり、義務付けられたりしたこともありませんし、信用情報に影響を与える保証人などになったこともありません。


こちらで説明していることは、他のひとたちにも話していることで、その概容は以前から一貫しています。ちなみにある主張への客観性や信憑性や正当性を分析する場合は、その相手が書いた文章を読めば程度が分かるでしょう。

いままでに関わったことのあるコミュニティも、どちらかと言えばリベラル寄りの一般層の多いコミュニティが多かったのですが、リベラル寄りのひとたちはやさしいひとが多いので人間関係の問題は少なかったです。

それから、僕の思想的価値観が、リベラル寄りといってもそんなに極端ではありません。視野を広める為にリベラル寄りの購読物を複数取っていた時期がありましたが、実際の思想的活動は一般層が中心に参加している脱原発平和運動のデモに数回、参加したことがある程度です。

しかも、その時期も鶴見済さんのデモに行くときに缶ビールを飲むことがあるという発言を参考にし、そのときの気分で発泡酒を片手に歩くこともあるくらい自分の気分を大切にする人間です。それから僕は、基本的に護憲派ですから自衛隊が他国に侵攻することには賛同しませんし、好戦的なタイプや軍事オタクではありません。

しかし、自衛隊の存在や国防思想は否定していませんし、明確な先制攻撃を仕掛けられて国民の生命が脅かされる有事のときは、中東の小国イスラエルの『周辺から同情されて滅びるよりも応戦して生き延びる道を選ぶ』といった価値観を参考にして対応するべきだと考えています。


参考サイト
www.a-inquiry.com

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価値観と観点

価値観や思想には、知的水準が高くなくとも、民族的感情に訴えることで民衆を扇動し、社会に影響を与えるものもあります。

現在も、欧米を中心にポピュリズムが台頭し、各国で自国が建国されたときの先住民の権利が最優先されるようになりました。しかし、その一方で移民先の国と先住民に敬意を払っていたり、友好思想を持っていたり、貢献している外国人たちへの排外主義の傾向が高まっています。

排外主義は、各国の一般国民から高度な高等教育を受けている知識人やインテリにも影響を受けているひとが増えています。

マイノリティ同士の人間関係にも、このような論理が適応される場合があります。例えば欧州ではユダヤ人とロマは不仲な場合が多く、ユダヤ人の現場労働者たちが自分たちは定職に就いているということで、その国の先住民ではないロマを非難していました。

しかし、相手を非難することで自分たちの立場を安定させようとする者の根底にある問題というのは、いつの時代も近質なものであることが多いのです。

諸外国で、これまでシンパの数は多くても言い難かったことは、TwitterSNSでの意見がうねりとなり、見方によっては国際社会で多数派と解釈され易い価値観に、強固に抗う動きにはボディー・ブローのように響くようになりました。

僕は、先述した外国人たちへの排除に反対ですが、近年はそのうねりがノックアウト・パンチのように各国の法制度や政局に直撃し、高い影響力を及ぼすようになりました。しかし、本来は理性的に柔軟な思考で言葉を選び、世の中の争い事や誤解の多くを解決や緩和へ導いていくことが望ましいのではないでしょうか。

総じて、物事を二者択一にし、自分たちとは異なる相手を排除しようとする論理は視野が狭くて雑ですが、本能的で分かり易いので普遍性があるのは事実です。古代ローマの軍人ユリウス・カエサルも『人間は自分の見たいようにしか世界を見ない』という名言を残していますので古代から普及していたのでしょう。

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自分たちとは異なる相手を排除しようとする論理は、外側に向かうエネルギーが非常に高いという特徴がある反面、理性よりも情緒が優先されることでミスが起き易くなり、精神医学などの世界で“固執”と呼ばれる深刻な心理状態に陥り易くなります。

この固執を分かり易く説明すると、例えばビジネスや有事の場で、初期のうちに状況を判断し、早急に出した課題に執着し、そのことを裏付ける情報のみ集めようとする心理状態のことです。
 
社会がこのような状態に陥るとき、固執外にももうひとつ特徴的な心理状態がありますが、これには人間の原始的な自我防衛機制が関係してきます。

脳機能が対処できないほどの負荷が掛かる事実を直視しなければいけない状況で、その事実を否定するという精神医学などの世界で“否認”と呼ばれる心理状態です。

この否認を分かり易く説明すると、例えばある日の早朝、その日の夕方に歯医者で苦痛の伴う治療を受けなければいけないことになっていても、通勤や通学時間が近いといったすぐに対処できる小さなストレスのほうに意識を向ける心理状態のことです。

どんな社会であっても、自分たちとその内在論理を突き放して客観視せずに自画自賛し、国際社会の視点から見て、時代にそぐわない価値観が基準になっていると、硬直し、柔軟な対応や軌道修正をすることが難しくなります。

ちなみに、精神医学などという言葉を聞くとおおげさに解釈するひともおられるかもしれませんが、僕の場合は依存症について勉強したときに比較的初心者向けの専門書と香山リカさんのエッセイを少し読んでいた程度です。

こちらで紹介した心のメカニズムは、主に文学作品を読んでいるときに参考にしました。否認については、イタリアを舞台に過激な思想を持つ科学者に挑む大学教授を描いたダン・ブラウンのイカした小説『インフェルノ』の登場人物が紹介していた内容を参考にしています。


参考書籍
インフェルノ(上)
インフェルノ(中)
インフェルノ(下)


元々、本文は価値観と観点に関したことが主軸となっていましたが、書き進めるうちに文化比較論やコミュニティに言及することで、つい自殺と人口減少問題が深刻なことで知られる日本海側のある地方都市のことを考えざるをえませんでした。

どんな地方であっても、こちらで指摘した問題が深刻な場合、民衆は日当たりの悪さや陰鬱な重苦しさに、疑問や危機感を感じるようになります。

そして、背を向けて難民化したり、穏やかで豊穣な地に希望や光を求め、出て行くことが続出することでしょう。こういうことは自殺や人口減少問題にも通じています。

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参考サイト
www.huffingtonpost.jp

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