精神的遊牧民

精神的に遊牧民化しているミニマリストのブログ.

ある地方にあったスーパーの話

今回も、最近連載している地方の人口減少や地方社会に関連した記事になります。

以前、近所にあったスーパーの話を中心にします。

 

 

ある地方にあったスーパーの話

平たくいうと、僕の暮らしているところは地方都市の郊外です。

とはいえ、一応中心部寄りのところなんですけどね。

ところで、引っ越してきたときは近所のスーパーがけっこう賑わっていたり、中規模の書店があったりしてもっと活気がありました。

f:id:ydet:20190518075300j:plain


ちなみに、前記のスーパーには、野菜やフルーツコーナーの他に魚や肉のコーナーもありました。

その店舗は、総じて食品の鮮度や品質が良く、八百屋や魚屋や肉屋と同程度の庶民的な価格設定の個人経営の店舗でした。

 

幻の250円弁当

ところで、そちらには250円でお弁当が売られていました。

そこのお弁当は、とくに週末は昼時になると近所の人たちが一斉に買いに来るので飛ぶように売れ、人気の日替わり弁当などは短時間で売り切れることも多々ありました。

平たくいうと、そこの食品や惣菜の盛りつけはやや雑でした。

でも、お弁当も含めて価格の割りにけっこうボリュームがあって味が良かったんですよ。

だから、そのスーパーには足繁く通っていました。

お弁当のほうは、鮭や鯖の焼き魚弁当やのり弁当を買うことが多かったのです。

f:id:ydet:20190518075327j:plain

そういえば、なぜかのり弁当だけは198円でしたね。

ちなみに、イラッとしたときの僕は、そのそのスーパーのお弁当をドカ食いすることが秘かなストレス解消法になっていました。

しかしながら、こちらで紹介したスーパーや書店はもう数年前に閉店してしまいましたが...。

 

商店とチェーン店の比較

さて、近年の地方では、イオン系列のマックスヴァリューなどの店舗が増えています。

大手のスーパーのチェーン店の場合、たしかに合理的で無駄のないレイアウトになっています。

また、大量生産された商品の品質は見事に均質化され、従業員の教育も行き届いています。

ところで、そうした店舗の場合、地方の雇用を促進していることになりますが、他方で利益の多くが中央にドレインされることを懸念する声があります。

大手のスーパーのチェーン店やコンビニは対応が親切だし、24時間営業だったり、比較的遅くまで開いていたりするので便利ではあるのですけどね。

いまの現地は、寂寥と形容するとおおげさかもしれませんが、この地方の象徴的な空模様である鉛色の雲のようにどんよりした雰囲気が町を覆っているというのが実情です。

でも、こういうことって徐々に変わっていくから、ときどき意識していないと気づき難くいよね。

今回は、前回とは視点を切り替え、自分の話を添えることで具体性を高めたミクロな内容を基軸にしました。

なので、シニカルで庶民的な話になりました。

でも、その分、追体験しやすいかも(笑)

 

参考記事

ydet.hatenablog.com

社会の空気

今回は、前回の記事の補足的内容にもなります。

主に、社会の空気と地方社会について説明していきます。

 

 

地方の明暗

現地では、郊外の方になると住民の横の結びつきがやや強く、多少相互監視社会の傾向がありました。

けれども、若年層や都会で暮らすことを経験している人を含め、多くの人にとってはライトで緩やかに繋れるくらいのあっさりした関係のほうが気持ちよく暮らせることでしょう。

f:id:ydet:20190518074402j:plain


敷衍すれば、学校や仕事が休みの平日の日中に公園で気ままにくつろげたり、プライバシーや個人の意向や自主性が尊重されたりする空気があるほうが理想的です。

そうすれば、とくにメリットやコンテンツがなくても結婚したり、しばらく定住したりしやすくなるからです。

f:id:ydet:20190518074437j:plain


なお、前述した空気がある地方とそうでない地方とでは、これから明暗が分かれていくことになります。

こうした仕組みについては、賛否両論があるでしょう。

けれども、善かれ悪しかれはともかく、時代の流れには誰しも逆らうことはできません。

f:id:ydet:20190518074453j:plain

 

ゴール・オリエンテッドの呪縛

地方の場合、たとえば人口減少問題のために地方の直線的な発想による高コストなプランを実施しようとしても、往々にして縮小再生産の方向に傾きます。

ところで、日々の営みは思いつきでシンプルにシミレーションすれば、いつもその通りにポジティブな結果が到来することになるでしょうか。

...平たくいっても、そうはならないことは自明ですよね。

複雑な業務になるとなおさらそうです。

なお、前回の記事でも説明したように公務員は基本的にまじめです。現業職や非正規雇用の場合もですが。

けれども、とくに車社会の地方では確証バイアスが働いたり、少数の思惑を全体の意見にさせやすかったりするというフライジャルがあり、これは車社会の地方のアキレス腱になっているといっても過言ではありません。

そのため、目標に向かって直線的に最短距離を突き進むゴール・オリエンテッド型の発想は、軌道修正がし難く、ミスを誘発してしまうという瑕疵があります。

だから、地方の場合は何か特別なことをするよりも首都圏などの都市部に共通している合理的な点を参考にし、緩慢に枯れていくことのほうが堅実だと僕は思います。

 

最後まで生き残るためのヒント

ところで、月並みな言い方ですけど、ダーウィンの進化論を参考にすると生き残るためのヒントが分ります。

というのも、最後まで生き残ることができるのは強い種でも賢い種でもなく、環境の変化に柔軟に適応することができる種だからです。

もちろん、この普遍性の高い理論は社会に置き換えてみた場合にも通用します。

それから、地方と都市部の空気の仕組みを比較して考える場合、すこし前に紹介したphaさんの『ひきこもらない』という本もけっこう参考になります。

なので、気が向いた人は読んでみてください。

 


参考書籍

ひきこもらない

ひきこもらない

 

 

参考記事

ydet.hatenablog.com

ydet.hatenablog.com

なぜ地方のコンテンツは集客がすくないのか

今回は、これからの地方の話をしていきます。

そういえば、地方ネタは久しぶりになりますね。

こちらは、近年の地方社会について僕が考察したことを中心に構成しています。

地方の場合、地場産業に恵まれていないと中央からの公的資金を頼りにしているところもあります。

事実、僕の暮らしている地方ではこうした状況になっています。

ところが、現地では中央から投入された公的資金の多くは、前の市長が長年芸術祭などに投入してしまいました。

しかしながら、その内実は市外からのお客さんもほとんど来なくてガラガラしていることが多かったため、市の職員に動員を呼びかけていたほどです。

つまり、お客さんは市の職員やその関係者が中心になっていたわけです。

したがって、経済効果はほとんどなく、民衆のマインドとは論理学の意味する包摂関係が成立しなかったというのが実情です。

 

 

たまごんの歯ぎしり

現地は、道路が整備されていて中央にもアクセスが良く、交通条件に恵まれているところです。

にもかかわらず、人口減少が深刻で現地では『政令指定都市のなかでは最初にポシャるのではないか』などと囁かれることもあります。

しかし、中央から交付された公的資金の多くが前述した芸術祭に使われたことなどで、ついに業を煮やした中央政府がその市長を官邸に呼びつけ、説教をする事態になりました。

この話は、現地ではけっこう有名で地元誌でも記事になり、行政職員や政治に関心のある住民は知っています。

だからといって、その前市長の人格まで否定するつもりはありませんが、平たくいうと理想論が多くお花畑寄りの方でした。

彼にしてみれば、そうした芸術祭を開催することで、遠方からのお客さんや移住者を呼び寄せることに繋げ、相乗効果を期待していたわけですが、客観的に思料すれば失敗だったことは明白です。

 

なぜ地方のコンテンツは集客がすくないのか

ところで、パブリックな場所で開催される大規模なフェスティバルの場合、たとえば首都圏の場合では代々木公園などでアースガーデンやアースディやオーシャン・ピープルズなどがあります。

ちなみに、アース系のフェスティバルはときどき地方でも開催されることがあります。

しかしながら、首都圏と地方のイベントではスペースも出店数もお客さんの数も異なります。

また、首都圏のこうしたフェスティバルになると首都圏だけでなく、地方からもたくさんの来客があります。

f:id:ydet:20190518072701j:plain

 
参考サイト

代々木公園イベント&フェス2019情報


したがって、パブリックな場所で開催される大規模なフェスティバルを見慣れた人たちが、地方で多少斬新さをアピールしたイベントを開催しても来客するか、とシミレーションしてみるとそういうわけではないことが導出できるでしょう。

ちなみに、アート活動をしたりクリエイティブなネットコンテンツを作ったりしている個人や少数チームの場合、ときどきぶっ飛んだ作品を作って規格外の結果を出す人たちもいます。

転じて、パブリックコンテンツ(とくに箱物)の場合、ヒットさせるにはコストが掛かりすぎるため、実際には失敗だったとしてもそのことを認め難いのでしょう。

ただし、自治体が協力したフェスティバルには特例的にうまく行っている事例もあり、そうした話についてはもうすこししたら別の記事で説明することを検討しています。

 

公務と客観的視点

さて、時計の針をすこし巻き戻し、地方行政の話をします。

現地の住民の気質は、率直にいうと総じて勤勉ですが、パッシブで事大主義です。

前述した芸術祭に携わっていた市の職員も、基本的にまじめな人が多いと思います。

が、一般的な業務に比べるとおもしろい仕事だということも関係し、異議を唱え難く、長年そうしたことが踏襲されていったのではないでしょうか。

ところで、複雑な問題が生じる場合、そうした連立方程式の正確な解法を合理的に探すためには、政策を立案し実施するところと、客観的に分析し評価するセクションを切り離すべきではないでしょうか。

ちなみに、現地のいまの市長は自民党系で話をした方々によると、すこし天然が入っているそうです。

とはいえ、人物評のほうは理性的なリアリストとのことで評判は良いです。

これからも、ときどきウォッチしていこうかな。

 

参考記事

ydet.hatenablog.com

イギリスのブレグジットと海洋自由

f:id:ydet:20190518070746j:plain

今回は、イギリスのEUからのブレグジット(離脱)と海洋自由の関係について説明してきます。

以前から、僕はイギリスのブレグジットに関心がありました。

理由は、道州制を考える上でも参考になると思ったからです。

 

 

海洋自由とは

さて、イギリスのEU離脱は、下院で慎重論が出たことなどから延長するということになりました。

しかし、イギリスがEUからまともな合意を得ないままブレグジットすることはありえるのではないでしょうか。

いまイギリスが、EUからブレグジットしたら関税を引き上げられる可能性があることも事実です。

ところが、シンプルに地政学で考えると、イギリスは日本と同じ、海洋国です

ちなみに、海洋国では大陸国と比べると人やお金の動きが流動的ではありませんが、しかし欧州には海洋自由という概念があります。

これはどういうことかというと、日本人のほとんどは理解していないと思いますけど、国際的な交通を重視するためにどのような国も公海を領有すべきではないという、17世紀にグロティウスが主張した説なのですが、公海自由の原則として欧州を中心に認知されている考え方なんです。

したがって、イギリスがEUからブレグジットした場合、孤立するのではなく、多少関税を引き上げられても周辺国との海路をベースにした貿易を続けることで、関係を維持していくことになるのではないでしょうか。

ところで、さっと調べましたがネット上にもイギリスのブレグジットと海洋自由を絡めて解説している記事は、見かけませんでした。

付記すると、地政学的にも特殊な条件を満たしていない他のEU加盟国のほとんどは前述したようなことができるわけではないし、たとえ他にいくつかブレグジットする国が出たとしてもドイツは最後まで残るでしょう。

こうした話は、これから佐藤優さんや手嶋龍一さんや副島隆彦さんたちが、説明していくことになるかもしれません。

 

イギリスの世論

さて、佐藤優さん流のマインドで考えるとイギリスはEUからのブレグジットを正当化するために、BBCなどのドラマを通し、国民の世論を誘導するようなことを行っていくのかもしれません。

ひょっとすると、そうしたことはもう行われているのかもしれません。

とすれば、時間的連続性を経てもイギリス社会の底流にあった社会通念に変化が起きている可能性があります。

もし、そうなら人権国家のイギリスでさえ、新たな移民の受け入れにはギブアップしているということになりますから、実に考えさせられます。

 

人道主義の必要

僕も、日本が積極的に移民を受け入れる方針には賛同できかねます。

けれども、他の人の人権や日本文化を尊重し、既に定住している移民(障害者や病人も含め)は、乱暴な論調で非難するのではなく、日本社会のメンバーとして普通に接するべきです。

なお、前述の日本社会のメンバーである移民には、安定した環境で暮らしてもらうことが順当でしょう。

一応法治国家であるなら、人道主義に基づき人権やプライバシ―にも配慮するべきです。

ハンディのある場合は、なおさらです。

 

参考サイト

英下院、ブレグジット法案を6月初めに審議へ 夏休み前のEU離脱に意欲 - BBCニュース

 

参考記事

ydet.hatenablog.com

ydet.hatenablog.com

書籍『ひきこもらない』

しばらく放置プレイ状態だったので、久しぶりの更新になります。

今回は、phaさんの『ひきこもらない』の紹介です。

筆者のphaさんは、最も有名なはてなブロガーです。

phaさんは、都市部にシェアハウスを作ったり、田舎に別荘を借りたり、2~3年ごとに引越しをされたりしていて、こうした活動はテレビやメディアのサイトなどでもときどき紹介され、著書も多数出されています。

 

 

街を家として使ってみる

本書は、地方や都市部でも生き難さを抱えている方におすすめできます。

始めのほうで紹介されている『街を家として使ってみる』という発想は、斬新というかユニークですよね。

地方の年配の人からすれば、ドライかもしれないけれど、家内の設備を同居人たちとシェアすればコストはあまり掛かりません。

家のなかにいても、気分が落ち着かなかったり、疲れたりしているときは、近所のコンビニや飲食店を家の延長に活用し、ノイズをシャットアウトするという発想も良いと思います。

家の近くにはコンビニもスーパーも飲食店も銭湯もあるし、繁華街である上野にも歩いて10分ちょっとで行ける。家が狭くて汚くて落ち着けなかったとしても、街を家の延長として使えばそれでいいんじゃないか、と思ったのだ。

(『ひきこもらない』17p)


他にも、漫画喫茶で気分転換することなども綴られていますが、非現実的な気分を堪能するという意味で漫喫に行くことも良い気分転換になります。

したがって、気軽にこのようなことがしやすいというメリットがあるのは首都圏の強みになっていると思いました。

また、著者の言うように本を読んだり、パソコンで作業をしたりするときは近所のファミレスに行くというのも、合理的な気分転換になるでしょう。

それから、本書では創価学会に好意的な発言もされています。

ちなみに、一昔前の創価学会員の場合、シェアハウスの運営者や利用者のことは、どちらかというと六師外道のように好意的には考えていない人もいたように思います。

ところが、近年になると首都圏などの都市部を中心に、シェアハウスなどの運営者や利用者たちから評判が良いようです。

これは、たぶん憲法ができたことも関係しているのかもしれませんが、正確にはよく分りません。

 

ふわっとしたい気分になりたいときにおすすめ

さて、敢えて本書の不足点をあげるなら、各記事に一点でいいから画像が添えられるようなデザインになっていれば、ネット世代にももっと読みやすくなるかな、と思いました。

けれども、普段はネットを利用している時間はさほど多くないけれど、どちらかというとギークの思想に同調しやすい僕的には良書でした。

また、本書はすこし離れたところに気分転換しに行く前や孤独感を感じたときに読むと気分が落ち着きますし、旅のお供にも向いています。

ところで、僕は本書のサウナの体験談に影響されてから、たまにサウナに行くようになりました。

もともと、スーパー銭湯に行くことはありましたが、サウナも良い気分転換になります。

というのも、サウナ室で熱さに耐えてから水風呂に入ると、一気に視界がクリアになってワンダフルな気分になるからです。

f:id:ydet:20190518065813j:plain

なお、サウナの正しい入浴方法は本書に書いてありますので、興味のある人は本書をぜひ御手にとって参考にしてください。

とはいえ、今年の僕はまだサウナには行っていません。

僕の場合、セロトニンの分泌を促し、うっすら褐色の肌にするため、冬の終わりからときどき日焼けサロンに行っていました。

サウナにも、また行ってみようかな。

さて、ふわっとした気分になりたい人も本書を購入してください。

 


参考書籍

ひきこもらない

ひきこもらない

 

 

参考ブログ

phaの日記

 

参考記事

ydet.hatenablog.com

ydet.hatenablog.com